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中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

< CD発売>




シャコンヌ バッハ:パルティータ&組曲 Guitar 中村俊三




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シャコンヌ バッハ:パルティータ&組曲  演奏 中村俊三   2000円+税   6月20日発売






歳と共にプログラムが重厚に

 リサイタルが終わって一週間経ちました。 50代で行ったリサイタル(シャコンヌ、大序曲、アルベニスなど)、数年前に行った古典派のリサイタル(パガニーニの大ソナタ、レゴンディなど)も結構大変なプログラムでしたが、今回のリサイタルはそれら以上に重厚なものでしたね。

 どうも私の場合歳と共にプログラムが重たくなってくる傾向があるようです。 リサイタル直前になると腕や肩などが痛くなって毎回 「もっと楽なプログラムにすればよかった」 と後悔するのですが、全く学習しないようです。

 今回のリサイタルの練習も結構きつく、「リサイタルまで指が持つかな」 とか 「リサイタル終わったら指が壊れているんじゃないか」 なんて思いましたが、なんとか指は壊れず済んだようです。



練習し過ぎて血管切れる?

 私の場合、意外と指は丈夫なようですが、2年前に練習中に右手の中指が痛くなってきて、なかなか痛みが引かないのでどうしのかなと思ってたら、だんだん中指の付け根付近が黒くなってきました。どうやら中指の付け根付近の血管が切れて内出血したようです。

 ”練習し過ぎて血管が切れる” なんて冗談みたいな話、本当にあるんですね。 しばらくの間(2~3か月くらい)痛みが引かず、中指でアポヤンド奏法は出来ませんでした。 でも特に練習を休むこともなく、中指はアルアイレ専用と言うことで弾いていました。



中指ではアポヤンド奏法を用いない

 今では中指でアポヤンドも出来るのですが、でも中指は他の指より長く、したがって関節などへの負担が大きいので、あまりアポヤンド奏法を使わないようにしています。 その反対に薬指はアポヤンド専用と言った感じで使っています。 薬指はどうしても神経が鈍いのでアルアイレ奏法は苦手みたいですね。 つまり薬指は ”力仕事担当” となっています。



かつては虚弱体質だったが、今は丈夫なだけがとりえ?

 こんなように指が痛くなることは時々あるのですが、ギタリストの職業病とも言われる指が意志に反して動いていしまう、あるいは意思に沿って動かなくなるといったことは今までありませんでした。 そういって点では恵まれているのかも知れません。

 若い頃は自他ともに認める虚弱体質でしたが、今となってはただ丈夫なだけがとりえになりつつあるのかも知れません。

 


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今回演奏したパルティータなどを収録

 さて、今回のリサイタルのメインの曲となっていたシャコンヌを含む「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番」などを収録したCD 「シャコンヌ バッハ:パルティータ&組曲」 を6月20日より発売しました。

 録音したのは昨年12月から今年の1月にかけですが、これは最終的にCDにおさめたテイクを録音したという期間で、録音作業の方は昨年の9月ころから行っていました。 それだけ何テイクも録り直し(編集も含め)た訳ですね。




リュートのためのプレリュードBWV999



原調での演奏も考えたが

 最初の曲は 「リュートのためのプレリュードBWV999」 という短い曲です。 単独で作曲された曲のようで、原曲はハ短調です。 

 ギターでは普通ニ短調で演奏されますが、ダウン・チューニング(全部の弦を長2度下げる)を行えば通常の譜面でも原曲どおりハ短調で弾けます。

 一応試みてみたのですが、でもなんか重たくなりすぎるし、それに次にパルティータニ短調を収録する予定だったので、ニ短調のほうがパルティータへのプレリュード的になるかなと、いうことで通常ギターで演奏されるようにニ短調で録音しました。

 特にテンポの指定はなく、人によってさまざまなテンポで演奏されます。 当初やや速めのテンポや、逆に遅めのテンポなどで録音してみたのですが、最終的にはこんなテンポになりました。 ややゆっくり目といったところでしょうか。






パルティータニ短調BWV1004 (原曲無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番) 


 もちろん編曲は先にしてあって、その譜面をもとに録音したのですが、録音、編集をしながら編曲自体もだんだん変わってゆきました。 装飾音のほうも同様です。

 編曲と言ってもほぼ原曲通りで、それに若干低音を追加している程度です。しかし低音と言うのは和声構造に深くかかわるもので、和声的なアナリーゼ(解析)が出来なければ低音を追加できません。低音はバッハの音楽の根幹と言ってもいいでしょう。

 また低音の入れ方は一通りではなく、いろいろな可能性があるものだと思います。それらの中から楽器にあった、あるいは自分の技量にあったものを入れているといった感じです。




アルマンド


自然な揺らぎが難しい

 アルマンドは中庸、あるいはゆっくり目の舞曲と言うことですが、柔軟性といったものが特徴、たいへん重要な点だと思います。 舞曲とは言ってもしなやかな動きで、一種の”揺らぎ” のようなものが必要なのでしょう。

 そうした”揺らぎ”を作るのが難しいところで、自然な流れを作るために何度も取り直しをしました。 特に冒頭の部分は曲のイメージを決めてしまうので、いろいろ悩みました。

 CDを改めて聴いてみると、そのように何度も取り直したり、またいろいろ考えながら編集したといったところはよく出ているのですが、その分だけきちんと出来過ぎているような感じもします。   ・・・・・贅沢な注文?



勢いで弾いたものは

 もしかしたら生演奏のように勢いで弾いてしまったほうがいいのかも知れませんが、でもそういった勢いで弾いたものは何回も聴いたり、また自分の部屋で落ち着いて聴くのには不向きでしょうね。

 やはり勢いで弾いた演奏は、勢いで聴いた方が良い!

 
  

クーラント


快速感と躍動感

 躍動感のあるクーラントで、なかなかいい曲ですね、「マチネの終わりに」にも使われていました。  録音時には適正なテンポと思ったのですが、その半年後の最近聴きなおしてみると、ちょっと遅めに感じます。 それだけその後の練習でテンポが上がったということでしょうけど。

 技術的に極端に難しいといった曲ではありませんが(易しくもないが)、しかし快速感と躍動感が大きな魅力となっている曲だけに、そうしたものを表現できるようにするにはかなりの練習が必要です。

 この曲も前曲同様、”勢い” で演奏した方が良いかも知れませんが、CDでじっくり聴くのもいいのではないかと思います。



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ご来場ありがとうございました!




バッハ:シャコンヌ  中村俊三ギター・リサイタル



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ひたちなか市文化会館




こうした状況にも関わらず

 昨日のリサイタルにおいで下さいました方々、本当にありがとうございます。 こうした状況下でのご来場はいろいろ煩わしいことや、心配事もある思いますが、そうしたことにも関わらず来てくださいました方々に感謝の気持ちでいっぱいです。

 ご来場くださった方は約70名ということで、いつもよりは少なめなのですが、間隔をあけて座るということではちょうど良かったかなと思います。 特に問題が出ないことを祈ります。



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やはり内容多すぎ

 終ってみれば、やはりというか、当然と言うか、プログラム的には質、量ともに多すぎた感じはあります。 2時間弱で終わるかなと思っていたのですが、結果的には2時間を10分以上オーヴァーしていました。 

 長い時間にもかかわらず、最後まで真剣に、またたいへん静かに聴いていただいた皆様には重ねてお礼申し上げます。 まがりなりにもこの歳になっても演奏会を行うことが出来るのは、ただただ、皆さまのおかげと思っています。



プロなら言い訳は

 これもいつものことですが、「もうちょっと弾けたんじゃないかな」 とか 「なんであんなところで」 といった反省点は数多く残りました。 いつもにも増して、今回のステージの照明は暑く、普段めったに汗など書かない私の下着がかなり濡れてしました。

 ただ暑いだけなら気力で何とかなるのですが、汗で指先が弦にひっかるのはどうしようもなく、テンポの速い曲ではふだんより若干テンポを落として弾いたのですが、それでも音抜けは多くなってしました。    ・・・・・プロなら言い訳はしないはずだが

 また、コロナ対策のため会場のドアは全部開放されていて、ステージで弾いていても音がやや抜ける感じでした、客席で聴いていただいた皆様はどうだったのでしょうか。

 それに関係あるのか、いつも私の声はマイクを使うともやもやとして聞き取りにくいと言われることが多いのですが、今回は比較的聴きやすかったと言われます。確かにしゃべっていてもスピーカーからの声は比較的クリヤーに聞こえていました。

 ふだんよりステージが暑かったのもドア開放に関係があるかな? さらに外に繋がっているので湿度も高かった?



あと十年間精進して

 それでは今回の反省を踏まえながら、10年後の80歳では今回よりずっと良いリサイタルが出来るように、さらに精進してゆきたいと思います。  この度は本当にありがとうございました。
バッハ::シャコンヌ 中村俊三ギターリサイタル 7

   6月20日(日) 14:00  ひたちなか市文化会館小ホール



アグスティン・バリオス



今や人気のバリオス作品

 今回演奏する4人目の作曲家はパラグアイ出身のアグスティン・バリオスです。 バリオスは近年では様々なギター曲の作曲家のうち、もっとも人気のある作曲家と言えるでしょう。 数年前私のコンサートの折に実施したアンケートで最も人気が高かったということは前にもお話したかも知れません。

 そのバリオス人気を先導するのが今回演奏する「大聖堂」と言うことになりますが、今日では「郷愁のショーロ」、「ワルツ3,4番」、「フリア・フロリダ」、「クリスマスの歌」、「森に夢見る」、「最後のトレモロ」 など他の多くの作品が演奏されています。



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セゴヴィアが弾かなかったので

 今現在ではこれだけ人気のあるバリオスですが、不思議なことに1960年代頃までは一部のギタリストを除いて、あまり演奏されませんでした。 その理由としては大巨匠、アンドレス・セゴヴィアがバリオスの作品を過少評価し、演奏しなかったからとも言われます。

 一説にはセゴヴィアはバリオスの驚異的な能力に恐れをなしたとも言われます。その真意のほどはわかりませんが、ただセゴヴィアは同時代のギタリストの作品は基本的に演奏しなかったので、セゴヴィアにとっては特別なことではなかったのかも知れません。

 しかしそういったことが言われるほど、当時セゴヴィアのギター界への影響力は強く、また同時にバリオスの作品のようなすぐれた作品が一時期あまり評価されなかったことが不思議だったのでしょう。




ヘンデル、バッハの200年後

 バリオスは1885年にパラグアイで生まれています。1885年といえばヘンデルとバッハのちょうど200年後に生まれていることになりますね、これも何かの縁でしょうか。

 バリオスの作品は今現在多数の曲が出版され、入手できます。 しかしそれ以外にも多数の作品が書かれたようですが、大部分は散逸してしまっているようです。またバリオスは多数のギター伴奏歌曲も自らの作詞で作曲しているようですが、それらは一般にはあまり知られていません。

 またバリオスは後年、生まれ故郷のグラニ族の酋長の名を付けて、「アグスティン・バリオス・マンゴレ」とも名乗っていました。







ワルツト長調作品8-4  



これまで演奏したことがなかったので

バリオスはいくつかのワルツを作曲していますが、この作品8ではこの第4番の他、第3番も人気曲でたいへんよく演奏されます。 私もこれまで、どちらかと言えば第3番のほうをよく演奏してきたのですが、今回はこの第4番のほうを演奏します。



コン・ブリオ

 第3番に比べると、この第4番は音的にはややシンプルなところもありますが、冒頭に「コン・ブリオ(con brio)」 と指示されています。 コン・ブリオの意味は「生き生きと、活発に」といったもので、速さに加え、勢い、力強さなども必要とされます。

 コン・ブリオと言えば、ベートヴェンの作品では、「運命」、「英雄」など多くの曲が「コン・ブリオ」と書かれています。 そういったイメージも含まれていると考えていいのでしょう。

 また中間部はゆっくりと歌わせるようになっていて、前後の活発な部分と、中間部との対比も重要なところです。







クエカ(チリ舞曲)



まさに南米風

 クエカというのはチリの踊りの一つらしいですが、具体的にはよくわかりません。 ただこの曲はリズミカルで快活な楽しい曲であることは確かです。 ワルツ第4番や大聖堂はどちらかと言えば南米風ではなくヨーロッパ風の曲ですが、この曲はまさに南米風の曲です。タンボラート(弦を叩く)やラスゲアード風の弾き方など、ギターらしい曲でもあります。








大聖堂



映画「マチネの終わりに」

 もう何度も話に出てきましたが、大聖堂は今回のリサイタルの目玉の一つです。 バリオスの作品がまだあまり演奏されなかった1950~60年代でもこの大聖堂だけは演奏されていました。 最近では映画「マチネの終わりに」でも重要な曲として登場し、さらに人気度が増しましたね。

 因みに映画「マチネの終わりに」には今回のプログラムの曲の中から、この大聖堂の他、クーラント(パルティータBWV1004)、メロディックなワルツ(詩的ワルツ集) も使われています(演奏は福田進一)。



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プレリュード(郷愁)は後から付け加えられた

 この曲はもともと「宗教的なアンダンテ」と「荘重なアレグロ」の二つの楽章で出来ていて、バリオス自身の録音(バリオスの作品にはバリオス自身の演奏録音も残されている)も、この二つの楽章となっています。

 バリオスの録音はSP録音で、音質などはたいへん悪く、中にはノイズの方がギターの音よりもずっと大きいものもあります。 そうした中ではこの大聖堂の録音は比較的よい方です。バリオスの録音は比較的入手しやすいので、ぜひ聴いてみて下さい。

 今現在の第1楽章にあたる「プレリュード(郷愁)」はもともと別に作曲されたもので、バリオスの晩年に付け加えられたものとされます。 したがって、以前(1970年代前半頃まで)は二つの楽章で演奏されることが多かったのですが、最近では3楽章の形で演奏されます。


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ジョン・ウィリアムスのLPの影響で

 今日のバリオス人気のきっかけとなったのは、1970年代にジョン・ウィリアムスがバリオス作品集のLPを発表したことによりますが、おそらくこのLPが3楽章の形で演奏された最初の大聖堂かも知れません。  

 カンパネラ奏法を用いたアルペジオによるプレリュードはたいへん美しく、大聖堂のさらなる人気アップに一役買っているのではと思います。 「マチネの終わりに」でも第2楽章「宗教的アンダンテ」を省いて、プレリュードとアレグロと言う形になっています。

 




お待ちしています

 それでは20日(日)はこのような感じのリサイタルとなります。 まだまだコロナも収まらない時期でに本当に恐縮ですが、お聴きいただければ幸いです。



バッハ::シャコンヌ 中村俊三ギターリサイタル 6

6月20日(日) 14:00   ひたちなか市文化会館小ホール



E.グラナドス : スペイン舞曲第5番「アンダルーサ」 ~ミゲル・リョベット編




後半はグラナドスとバリオス 

 後半のプログラムはスペインの作曲家、グラナドスと南米のギタリスト、バリオスの作品です。 グラナドスとバリオスはあまり関係ありませんが、前半が二人の作曲だったので、後半も二人の作曲家にしました。



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エンリケ・グラナドス



ギターではアルベニスのほうが比較的よく演奏されるが

 グラナドスは19世紀後半から20世紀初頭にかけてのスペインの代表的な作曲で、同時期で同じスペインの作曲家、イサーク・アルベニスと比較されます。 ヘンデルとバッハの関係みたいですね。

 私自身ではこれまでその作品集のCDなども録音したりなど、アルベニスの方が演奏する曲数は機会は多く、一般的にもアストゥリアスはじめ、アルベニスの方がやや人気があるようです。 しかし内容的に言えばまさに甲乙つけがたいところでしょうか。



アルベニスと同じく若い頃はロマン派風の作風だったが、後にスぺイン音楽に傾倒

 グラナドスもアルベニスと同じく若い頃は伝統的なヨーロッパの音楽、つまりロマン派的な音楽を学び、初期の作品はスペイン風というより、ショパンやシューマンなどに近いロマン派風のものとなっています。

 壮年期になってからスペインの民族的な音楽を目指すようになったものアルベニスと同じです。 自身がピアニストであったのも同じで、いろいろな意味でアルベニスと似た音楽活動をしていました。 ちょっと聴いただけではアルベニスの曲か、グラナドスの曲家わからない場合もあります。もちろん注意深く聴くと全然違うのですが。



アルベニスより7年後輩で、第1次大戦中亡くなる

 生まれたのはアルベニスが1860年で、グラナドスは1867年ということでアルベニスの7歳後輩と言うことになります。 アルベニスは1909年(タレガと没年が同じ)に亡くなっていますが、グラナドスは1916年、アメリカでの公演からの帰国時に、乗った船がUボートの攻撃を受け、夫人と共に亡くなっています。

 グラナドスはもともと船が大嫌いだったそうで、仕事とはいえ、アメリカに渡るには相当の決断が必要だったのではと思います。英仏海峡でUボートの攻撃を受けた際、グラナドス自身は救命ボートに一旦は引き上げられたそうですが、夫人を助けるため再び海に戻ってしまったのだそうです。  ・・・・・・・グラナドスのそうした心中を推しはかると胸が痛くなりますね。



グラナドスの作品中最も有名

 グラナドスの作品の中では 「12のスペイン舞曲集」 がもっともよく知られ、その中でも 「第5番アンダルーサ」 は特に有名です。 ピアノ以外でもヴァイオリンやチェロなどでも演奏され、ギターでも大変よく演奏され、アルベニスの「アストゥリアス」同様、ギターのレパートリーとしても定着しています。



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カタルーニャ民謡集はグラナドスの作品などの名編曲で知られるミゲル・リョベット。 タレガの弟子で、セゴヴィアの師とも言われる。



 ギターへの編曲は20世紀初頭に活躍したスペインのギタリストミゲル・リョベット(カタルーニャ民謡集などの作品がある)のものがよく用いられます。 リョベットの巧な編曲は、オリジナルのギター曲のような仕上がりになっています。 リョベットは他に 「ゴヤの美女」、「スペイン舞曲第7番」 「同第10番」 などのグラナドスの作品をギターに編曲しています。

 私の演奏も基本的にはリョベット編ですが、技術的な理由で大きな影響のない細部を若干変更しています。








エンリケ・グラナドス : 「詩的ワルツ集」 ~中村編


若き日の作品

序奏と8つの短いワルツからなるこの曲は1866~1887年にかけて作曲されたもので、 グラナドスの19~20歳の作品です。 またスペイン的な音楽を書くようになる以前のもので、ロマン派風の美しい作品です。 初々しさとか上品さも漂い、メロディの美しさも際立っています。

 活発な序奏のあとに 「1.メロディックなワルツ」、「2.高貴なワルツ」、「3.ゆっくりしたワルツ」、「4.ユーモラスなワルツ」、「5.華麗ななワルツ」、「6.センチメンタルなワルツ」、「7.蝶々のワルツ」、「8.理想的なワルツ」が続き、最後に「メロディックなワルツ」がもう一度演奏されます。



それぞれの曲

 「メロディックなワルツ」はこのワルツ集では最も重要な曲とされ、最後にもう一度現れます。確かにたいへん美しいメロディの曲で、ややゆっくり目のテンポが想定されているでしょう。

 「高貴なワルツ」比較的速いテンポで演奏されますが、ルバートも多く曲名通りしなやかな曲となっています。 「ゆっくりしたワルツは」短調でじっくり歌わせる曲で、この曲もメロディの美しい曲です。

 「ユーモラスなワルツ」 は速いテンポの元気のよい曲で、中間部は流動感のあるメロディとなっています。 「華麗なワルツ」は動きのある曲というより、二重付点音符を用いたキレのよい曲です。 中間部は旋律的ですが、ギターでは苦手な変ロ短調(フラット5個)となっていて、若干弾きにくいです。

 「蝶々のワルツ」は題名どおり蝶々の飛翔する様子が描かれています。 最後の「理想的なワルツ」の曲名の意味はよくわかりませんが、最後を飾るにふさわしい華麗な曲になっています。 しかし曲集はこれで終わらず、最後に前述のとおり最初の「メロディックなワルツ」が演奏されます。



最初にギターで演奏したのは

 「詩的ワルツ集」はあくまでも美しい旋律を中心とした曲で、同じグラナドスの作品でも「12のスペイン舞曲集」などとは一味違った作品となっています。

 ギターでの演奏は1969年のジョン・ウィリアムスが抜粋して演奏したのが最初で(私が知る限りでは)、後に全曲編曲、録音しています。 今現在では多くのギタリストが演奏していて、この曲もギターのレパートリーの一つとして定着しつつあります。 映画「マチネの終わりに」でもメロディックなワルツ」が登場しています。



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詩的ワルツ集を最初にギターで演奏した(と思われる)ジョン・ウィリアムス




自動ピアノへの演奏記録も残されている

 今現在ではいくつかの編曲譜が存在しますが、今回の演奏では、やはり自分自身の考えや感性で演奏したいということで、全音出版のピアノ譜をもとに私自身で編曲しています。 因みにこの曲は自動ピアノに記録したグラナドス自身の演奏もあるそうです。
 

 




バッハ::シャコンヌ 中村俊三ギターリサイタル 6


   6月20日(日) 14:00  ひたちなか市文化会館小ホール



バッハ : パルティータニ短調BWV1004(原曲無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番)




私の編曲譜

 前回、曲の話を全然しなかったので、今回はとりあえず譜面(私の編曲譜)を載せておきましょう。



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アルマンド  アルマンドにしては緊張感が高い。 編曲としては原曲に低音や装飾音を付けている。 なんとなくシャコンヌの前半部分に似ている。 



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クーラント  キビキビとした躍動感が出ればいいかなと思う。 付点音符は3連符風に弾くのが常道かも知れないが、躍動感を出すため、通常の付点音風に弾こうと思っている。




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サラバンド  原曲では繰り返し記号になっているが、2回目は装飾音を加えて弾くので、あらためて書き直している。




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ジグ  ずっと16分音符でめっちゃ難しい。付点四分音符(16分音符6個)=70くらいで弾ければそれなりにカッコつくかな。




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シャコンヌ   ジグの後だとシャコンヌがなんだか易しく感じる(もちろんそんなことはないが)。やはり何といっても前半の終わりの32分音符の音階と長いアルペジオが盛り上げどころかな。 でも後半にもいろいろ楽しみどころを作らないと。



 若干独り言が入っていますね、確かに難しい曲です。 でも練習して飽きることはあまりなかったです、その代わりに指が壊れそう!


バッハ::シャコンヌ 中村俊三ギターリサイタル 5




メヌエットニ長調(ヘンデル ~タレガ編)の原曲


またまた、鈴木さんありがとうございます。

 今度演奏するタレガ編、ヘンデル作曲「メヌエットニ長調」の原曲誰か知りませんか? ト」お尋ねしたところ、また鈴木幸男さんからメールがあり、「原曲は、オペラ『サムソン』序曲のメヌエット」 であるということです。 鈴木さん再度ありがとうございます。

 原曲についてはやはり国内盤のCDの解説に書いてあるそうです。 私の場合、セゴヴィアのLPの復刻CDはほとんど国内盤で持っているのですが、たまたまこのバロック集のみ海外盤になってしまいました。 それにしても国内盤のCDの解説素晴らしいですね、またそれをしっかり読んで、さらに記憶している鈴木さんも素晴らしいです。




浜田先生、心からご冥福をお祈りいたします。

 解説者は濱田滋郎先生だと思います。浜田先生にはラジオや文章を通じてですが、これまでいろいろなことを勉強させていただきました。 まことに残念なことに、浜田先生は今年の3月21日に永眠なされました。 浜田先生は著名な音楽評論家で、スペイン文学にも精通し、なんといってもクラシックギターに関しては特別な知識をお持ちでした。

 先生は我が国のクラシック・ギターの質的向上に破格の貢献をなされてきたのではと思います。 これまでたいへんありがとうございました、ご冥福をお祈りいたします。


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シニア・ギター・コンクールでの濱田滋郎先生(2019年)






バッハ : パルティータニ短調BWV1004(原曲無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番)



もう書くことが

 この曲についてはこれまでたくさん書いてきたので、確かにあらためて書くこともなくなってしまいましたね、パルティータと組曲の違い(バッハの場合の)とか、なんでヴァイオリン1台のみの曲を書いたか、通常シャコンヌはどんな曲  ・・・・・・・などなど。  ・・・・・と言いつつも、結局また書いてしまいます。



当時の音楽家は教会や宮廷に勤めていた

 この当時(17~18世紀)では、多くの音楽家は宮廷、または教会に勤務しており、その雇い主からの指示でイヴェントなどに合わせて作曲を行います。

 当時の音楽家の地位は基本的には他の宮廷の使用人と同じで、芸術家というより、職人に近い立場だったとも言われます。 ただしその雇い主の音楽への関心が高ければ、その分雇っている音楽家の地位も上がることになります。



その場にふさわしい音楽を書くことが

 もちろん音楽家はその雇い主を満足させるためにより質の高い音楽、あるいはそうした場にふさわしい音楽を書き、演奏する事に努めます。 

 しかしその一方で自らの音楽的、あるいは芸術的欲求に従って自発的に作品を書くことは基本的にないわけです。 自らの感性に従い個性的、あるいは独創的な作品を書くと、多くの場合雇い主から拒絶される可能性も多かったでしょう。
 
 いってみれば雇い主にとっては音楽とは調度品のように宮廷を華麗に飾るものの一つだったのでしょう。 皆さんも家具を買う時、あまり個性的なものよりは、自分の部屋に合うかどうかを優先させるでしょう。



ヘンデルは
 
 ヘンデルは各地で王宮での仕事も行いましたが、特に生涯の後半では宮廷などには努めず、ロンドンにおいて比較的フリーな立場でオペラなどの作曲を主としていました。 これはヨーロッパで最も早く産業革命起こったイギリスという国の事情もあるようです。

 ヘンデルはオペラの公演を自ら行っていたようで、まさに職業的音楽家でもあり、経営者でもあったわけです。 となれば当然採算の取れる音楽を書き、採算の取れる興行を行わなければなりません。

 そうなれば見栄や権威でなく、実質的に聞き手を満足させなければなりません。そうしたところがヘンデルを現実的な作曲家と進ませたのではと思います。

 確かにヘンデルには ”無駄に” わかりにくい点はありません。 どちらかと言えば、聴いてすぐに受け入れられる音楽が多いのもそうした理由でしょう。



前衛的な演奏で煙たがられていた

 一方バッハは終生宮廷、または協会での仕事についています。 つまり雇い主の依頼によって仕事をしていればよかった立場ですが、そうした状況にしてはバッハは向上心や探求心があり過ぎたようです。

 教会などでのオルガン演奏は、時折前衛的な演奏して関係者から煙たがられていたようです。 当時でもオルガンなどの演奏、あるいは楽器の ”目利き” については評価が高かったのですが、作曲家としてはほとんど評価されていなかったようです。



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若い頃のバッハは教会などで前衛的なオルガン演奏して周囲から煙たがられていたようだ。




ケーテン候はバッハの音楽のよき理解者

 バッハは常に自分の音楽にとってより良い環境を求めて職場を何度も変えています。 30代ではケーテンのレオポルド候のもとで働くことになりますが、レオポルド候は音楽にたいへん造詣が深く、バッハの音楽のよき理解者となります。

 バッハにとってはたいへん幸せな時代だったとも言われています。 このケーテンで無伴奏のためのヴァイオリンとチェロの6つの作品など多くの器楽曲が生まれています。



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ケーテン候レオポルド バッハのよき理解者だった



晩年のライプチヒで宗教音楽の集大成

 その後事情でライプチヒの聖トーマス教会へ移りますが、今度はバッハの作品の集大成ともいえる一連の宗教曲を作曲します。 その結果声楽、器楽、両方の分野で私たちに大いなる遺産を残すことになります。



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バッハの最後の仕事場となったライプチヒの聖ト-マス協会




バッハは何のために作曲?

 バッハは一般の人が楽しめる音楽をまったく書かなかったわけではありませんが、音楽的能力が高い人でないと理解できないと思われる作品も数多く作曲していまるのも確かです。

 では、バッハは何のために作曲していたのか? という問いはたいへん難しく、私などの考えの及ぶところではありませんが、ただ現実的な理由や目的のためだけに作品を生み出していたわけではないのは確かなようです。

 よくバッハは 「神にささげるために作曲していた」 とも言われます。 バッハが思っている神とはどんな神だったのでしょうか? それについていろいろ書かれているものもありますが、その神は極めて高い音楽能力を持っていることは明らかでしょう、おそらくバッハと同程度の。


 
バッハは後世に残すために作品を書いたのか?

 今現在、バッハの音楽はバッハの生前聴かれていたのとは比較にならないほど多くの人に聴かれ、また関心を持たれています。 そうしたことはバッハが予想していたことなのでしょうか、 またそうしたことを念頭に置いたうえで、つまり後世に残すためにバッハは作品を書いていたのでしょうか?

 おそらく今日のように聴かれるとは思っていなかったとしても、たいへん丁寧に自らの作品を清書したり(マグダレーナの手も借りているが)、また晩年には出版に意欲的になるなど、後世に残す意志は十分に感じられます。

 自らの作品の真価が人々に理解されるには時間が必要だということはバッハ自身感じていたことなのかも知れません。あるいは時間がたてば必ず自らの作品が人々に理解され、享受されてゆくことを確信していたのかも知れません。



未来人も


 もっとも人類の歴史など、まだまだ始まったばかり、私たちの人類が生まれてからせいぜい10~20万年、文字が生まれ、歴史が生まれてから1万年、音楽史のみであればおよそ1000年。

 バッハの音楽が未来の人々にも聴かれるのは間違いないでしょう。 おそらく今後、最終的には私たちには想像も出来ないくらいの多くの人々がバッハの音楽に親しむのかも知れません。

 


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人類はあとどれくらい生存し続けるのか? 1万年? 10万年? 100万年? 1億年?  ・・・・・全く分からないが、人類が生存し続けている以上はバッハの音楽は人々に聴かれてゆくだろう。


バッハ::シャコンヌ 中村俊三ギターリサイタル 4



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「ソナタニ短調」の原曲 




ソナタニ短調 = プレリュードとアレグロ(ソナタ)ト短調HWV574

 前回の記事で、今回演奏予定のヘンデル作曲、アンドレス・セゴヴィア編曲の 「エイルズフォードの8つの小品」 より 「ソナタニ短調」 の原曲についてどなたか、ご存じの方いませんか? とお尋ねしたところ、 ひたちなか市の鈴木幸男さんから 「原曲はプレリュードとアレグロ(ソナタ)ト短調HWV574の後半部分」 である、といったメールをいただきました。



鈴木さんありがとうございました

 書いていただいた作品番号によってネットで原曲の譜面を確認したところ、間違いなくこの曲のようです。 鈴木さんありがとうございました、やはりわからない時には聴いてみるものですね。 

 ちなみに 鈴木幸男さんはシニア・ギター・コンクール他で何度も優勝しているので、ご存じの方も多いと思います。




アンダンティーノではなくアレグロ

 私が持ってい海外盤のCDの解説には 「エイルズフォード」 としか書いていなかったのですが、国内版のCDにはそうしたことが書いてあるようです。 

 調などが変わっていることはある程度予測していたのですが、原曲はニ短調ではなくト短調で、テンポもアンダンティーノではなくアレグロでした。

 でもこの曲を速く弾くのは難しいので、今回のリサイタルでは ”アンダンティーノ” で弾きます。 渡辺範彦さんも比較的ゆっくり弾いています。







ヘンデル : サラバンド 組曲第11番より 中村俊三編曲



通算では第12番?

 このサラバンドはハープシコード組曲第2集、第4番ニ短調。 または組曲第11番とも言われる組曲に含まれます。 アンドレス・セゴヴィアなど多くのギタリストが演奏し、またピアノでも演奏され、一般的にも有名な曲です。 

 「ソナタニ短調」と比べ、こちらは出所もはっきりしていて、原曲の譜面、あるいはピアノ譜も入手しやすいと思います。

 ところで、ハープシコード組曲第1集は8曲からなり、この組曲は第2集の第4番。 それなら、この組曲は通算で ”12番” では? 足し算の間違い?



それなら第2集の第3番では?

 いや、足し算の間違いではなく、この組曲は通常 ”第11番” とされています。 その理由は第2集の第2番は「シャコンヌト長調」で、これは実質上組曲ではないので、通算の時には数えないようです。

  ???  それならこの組曲は第2集の ”第3番” ? 

 いや、やはり第2集の ”第4番” なのです。 つまり第2集のみの場合はシャコンヌト長調を ”1曲” と数え、通算の場合は1曲とは数えないのです。 

  ????? 何言ってんの?



4曲からなる組曲

 理不尽とお思いの方もいらっしゃるとは思いますが、 番号の付け方は慣例的にそのようになっているようです、悪しからず。 当ブログではその点についてのクレームは一切受け付けません。 
 
 この組曲は「アルマンド」、「クーラント」、「サラバンド」、「ジグ」 の4曲からなる比較的コンパクトな組曲です。 バッハのところで書いた通り、この4曲は組曲の基本となる曲ですが、ヘンデルの場合、こうした基本形で組曲を作曲することはそれほ多くはなく、組み合わせは様々です。 

 こうした点でもバッハとはだいぶ違いまうね、バッハの場合、作曲する場合にはなんらかの ”縛り” を設定することが多いようです。




アメリカのギタリストのウィリアム・カネンガイザー

 アメリカのギタリストのウィリアム・カネンガイザーがこの4曲、つまり組曲第11番全曲を編曲して演奏しています。 カネンガイザーといえばスコット・テナントやアンドリュー・ヨークなど共に 「ロサンゼルス・ギター・カルテット」 の一員ですね。 ・・・・・最近は活動しているのかな?


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カネンガイザー編の組曲第11番



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ロサンゼルス・ギター・カルテット(19992年録音のCD) 後列左からスコット・テナント、 ウィリアム・カネンガイザー、 前列左よりアンドリュー・ヨーク、 ジョン・ディアマン



 デビット・ラッセルが弾いている「第7番」など、ヘンデルのハープシコード組曲をギターで弾くのはかなり難しいのですが、この「第11番」は比較的弾きやすいです。 この譜面が現在入手かのうかどうかわかりませんが、原曲の譜面があれば自分でも編曲出来るでしょう。  ・・・・・いや、編曲しなくてもだいたい弾けるのでは。



 
ギターの音域にすっぽりと収まってしまう

 このサラバンドの原曲は音域がギターにすっぽりとはまります、つまり最低音が⑥弦の「レ」で、最高音が①弦の13フレットの「ファ」です。 珍しい鍵盤曲ですね、普通鍵盤曲をギターで演奏するためには移調したり、最低でもオクターブ上げ下げしたりは必ずしなければならないものなので、まるでギターのために書かれたみたいですね。

 多くの場合それでも演奏不可能、あるいは技術的に困難な箇所が出てしまうので、ある程度の簡略化は避けられません。 この曲は音域がピタリとギターにはまっているのみでなく、原曲そのままでもギターで演奏可能です。 ヘ音記号を苦にしないのなら、ピアノ譜などをそのままでもギターで弾けると思います。



編曲していない編曲

 私の編曲でもオクターブの変更と音を省略したところが合計でも2~3か所くらいだと思います。 公式には ”中村俊三編曲” となっていますが、実際は編曲していません。 編曲しないのも編曲?



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私のアレンジ。 運指などを付けているが、編曲はしていない。




無駄に変更する必要はない

 セゴヴィアの演奏もだいたい原曲通りですが、かつて国内で出版されていたものの多くは変更されていて(特に各変奏のエンディングが変更されている)、若い頃、どれが ”本物” なのかわからなかったので、結局ピアノ譜を買ってそれをギター譜に書き換え(ヘ音記号はよく読めなかったので)、それで弾いていました。 

原曲通りに弾けない、あるいは原曲通りではギター曲にならないなどと言った理由がなければ、あえて編曲しないのもひとつではないかと思います。この曲など編曲の必要ない典型的な曲と言えます。






メヌエットト長調 F.タレガ編曲




どなたかご存じの方がいましたら

 この曲も原曲がわかりません、かつてどこかに書いてあった記憶もあるのですが、どこに書いてあったか思い出せません。 やはりこの曲についても読者の方々にお願いするしかないようです。






 このメヌエットの原曲について情報をお持ちの方はお教えください! 






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軽快で楽しい曲

 なお、上の譜面は1920年前後にスペインで出版されたもの(アリエール社らしい)を基に私が打ち直しをしています。その際運指などの変更を行い、下のほうにあるピッチカート奏法の指示もタレガ編にはありません。

 この曲もセゴヴィアのLPで若い頃から親しんでいたもので、軽快で楽しい曲ですね。 特徴としては中間部(と思われる部分)が主要部と同じニ長調で(原調はわかりませんが)になっている点でしょうか。




ヘンデルはハイドンに近い?

 こうした場合にはっきりした対比を付けるバッハではありえないことですが、ハイドンの曲ではこのように主部と中間部の調を変えないことも結構あり、なんとなくヘンデルとハイドンは近いような気がします。

 となるとバッハはモーツァルトかベートーヴェンと近い? かどうかわかりませんが、強い表現を目指している点では共通するところもあるかも?

バッハ:シャコンヌ 中村俊三ギター・リサイタル 3

     6月20日(日) 14:00  ひたちなか市文化会館小ホール 



ヘンデル : オンブラ・マイ・フ (オペラ「セルセ」より ~中村俊三編曲) 





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オンブラ・マイ・フは1980年代に、キャスリーン・バトルによるテレビCMで話題となった。





キャスリーン・バトルの歌で

 ヘンデルの最初の曲はイタリア歌曲として有名な「オンブラ・マイ・フ」です。 1980年代にウィスキーのCMで使われ、ソプラノ歌手のキャスリーン・バトルの美しい声が話題となりました。 

 ヘンデルには40曲以上のオペラがありますが、この「セルセ」は晩年の円熟期の作品です。 今現在ではDVDやCDで全曲聴くことが出来るようですが、残念ながら私自身では聴いていません。

 オンブラ・マイ・フは「かつて、これほどまでに愛おしく、優しく、心地のよい木々の陰はなかった」 といった歌詞の短いアリアで、正しくはアリアではなく 「アリエッタ(短いアリア)」 だそうです。 「ヘンデルのラルゴ」とも言われますが、これも正確にはラルゴではなく「ラルゲット」だそうです。


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Largoとなっているが、原曲ではLargettoらしい



10代の村治佳織さん

 ギターでは村治佳織さんが10代の頃録音していました。まだ高校生の頃で、確か3枚目のCDアルバムだと思います。


村治シンフォニア
村治佳織さんの3枚目のCD「シンフォニア」にオンブラ・マイ・フが収録されている





この曲は音的にはシンプルで、編曲も演奏も特に難しくはないのですが、しかし何といってもソプラノ(原曲ではカストラート)で歌う曲なので、歌の感じをギターで出すのは難しいです。

 バトルは冒頭の長い音をたいへん美しい声で歌っていましたが、当然ながらギターでは長い音は出せません。 ギターで弾く場合、トリルも考えられるのですが、ちょっとガチャガチャ感もあるので、ハーモニックス奏法にしました。 ハーモニックス奏法は通常の弾き方よりも透明感もあり、なんといっても余韻が長いです。

 また伴奏の中からメロディを浮き上がらせるのも相当なな技術が必要です。 和音の中で主旋律にあたる音だけ他の音よりも音量を上げ、またメロディらしい音色、質感を出すのはかなり高度な技術が必要です。 そうしたことは「令和時代のギター上達法」でも語ってゆきましょう。






ヘンデル : ソナタニ短調(アンドレス・セゴヴィア編曲)


どなたか原曲の情報をお持ちでしたら

 この曲はアンドレス・セゴヴィアが編曲した「エイルズフォードの8つの小品」の中の一曲です。 エイルズフォードはイギリスの音楽コレクターで、そのコレクターが所蔵していたヘンデルの楽譜をエイルズフォード・コレクションというようです。 全部で19曲あるようですが、どういう訳か、私がさがした限りではそれらの中にこの「ソナタニ短調」が見当たりません。



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「エイルズフォードの8つの小品」の中の1曲と言うことになっているが、そのエイルズフォード・コレクションの中ではこの曲が見つからない。



 タイトルが違っていたり、調が違っていたりはすることがありますが、譜例を見てもこの曲に該当するような曲は見当たりません。 メヌエット、ガヴォット、フゲッタ、パスピエなど他の曲はあるのですが、どうもこのソナタのみ見つかりません。もしどなたかこのソナタの原曲について情報をお持ちでしたら、ぜひお教えください。



セゴヴィアの演奏もさることながら

 この曲演奏につてはセゴヴィア自身で1967年に「アンドレス・セゴヴィア オン・ステージ」というLPに録音しています(当ブログでは「20世紀の巨匠たち」で書いています)。 しかしこの曲については何といっても渡辺紀彦さん(故人になってしまったが)の演奏が忘れられません。

 同じ1967年の渡辺紀彦さんのデビューアルバムにこの曲を録音しているのですが、19歳の時に録音で、まだパリ国際ギターコンクールで優勝する前のもです。因みに渡辺さんは日本人として初めてパリ国際ギター・コンクールで優勝しました。



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渡辺紀彦さんのデビュー・アルバムの復刻CD。他にフレスコバルディの「アリアと変奏」、スカルラッティの「ソナタホ短調」など。 ほぼ”一発録り”らしい。



河野ギターが

 スタジオでの録音ですが、編集はほとんどしていないそうです。 それにしては驚くほど完璧な演奏で、またたいへん美しい音です。渡辺さんの使用していた楽器は河野賢で、渡辺さんの演奏で河野ギター・ファンが一気に増加することになります。当時私の友達などでも河野ギターを使っていた人がたくさんいました。

 この渡辺さんのデビュー・アルバムは今現在でもCDで購入出来、オススメの1枚です。
バッハ:シャコンヌ 中村俊三ギター・リサイタル  2 

  6月20日(日) 14:00  ひたちなか市文化会館小ホール



バッハとヘンデル


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音楽室に

 プログラムの前半はヘンデルとバッハの作品です。 バッハ、ヘンデルといえばバロック時代の両巨匠ということですね。 小学校の音楽室の壁に二人並んで肖像画が掲げられていました。その右側にはハイドン、モーツアルト、ベートーヴェンと計5人の肖像画がありました。その結果小学生の頃からバッハ、ヘンデルを含めたこの5人は特別な音楽家だと認識していました。

 しかし小学生の頃はハイドン、モーツアルト、ベートーヴェンの曲はまがりなりにも多少聴いたことがあtりましたが、バッハとヘンデルは聴いたことがなく、ただカツラを被ったいかにも古そうな人といった印象しかありませんでした。

 バッハの曲を聴いた記憶があるのは中学生になってからで、音楽の先生にバッハの管弦楽組曲第2番の「ポロネーズ」をフルートで聴かせていただいたのが初めてのバッハの経験でした。 だいぶ古い話ですが、その時の印象はとても強かったのか、今でも記憶が残っています。

 ヘンデルの方は「水上の音楽」など多分音楽鑑賞の時間に聴いたのではと思いますが、記憶には残っていません。



王=長嶋、 大鵬=柏戸

 ところで、世の中 「2大なんとか」 というのはいろいろありますね、 巨人=阪神、 王=長嶋、 大鵬=柏戸、 若=貴、 東京=大阪、 ハウザー=フレタ ・・・・・

 甲乙付け難い両雄ということですが、でも確かに柏戸は強い時は強かったが、優勝回数となると大鵬にはだいぶ差をつけられていますね、 巨人=阪神についても優勝回数では・・・・・・  いや、やめておきましょう、一部の野球ファンの怒りを買う恐れもあるので。

 2大何とかと言っても本当に ”甲乙付け難い両雄” というのはわりと少なくて、甲乙が付けられちゃうこともありますね、”乙” になっちゃった方としては複雑な感じ?



バッハ=ヘンデルは両雄?

 ではバッハ、ヘンデルの両巨匠についてはというと、は同じ年の1685年に生まれていて、まさにライバルといったところです。 二人の生存中ではヘンデルの評価が圧倒的に高かったようですね。 当時ヘンデルの人気や評価はヨーロッパ全体に及んでいたようですが、バッハついてはやや地域限定とか、本当に音楽を知っている人にだけに理解されていた面もあるようです。



どちらかと言えばヘンデル

 つまり当時バッハ=ヘンデルが”両雄”だったかどうかは、なんとも言えないところだったようです。仮にそうだったとしても間違いなく ”ヘンデル=バッハ” だったでしょう。 ヘンデルの作品は聴き馴染みやすいところがあり、またオペラやオラトリオなど劇音楽も多く、当時はそうしたものの方が評価も人気も高かったのでしょう。

 19世紀になってからヘンデルやバッハの音楽は再評価されることになるのですが、二人は少なくとも同等で、どちらかと言えばヘンデルの方が優勢だったようです。 ベートヴェンはバッハの音楽も勉強したそうですが、死期が近づいたときに涙を流して聴いたのはヘンデルの 「メサイア」 だそうです。



HMVの検索数では

 では、今現在ではこの二人の関係はどうかというと、CDや楽譜の売り上げ、演奏される機会、関係著書、そういったものからすれば圧倒的にバッハと言えるでしょうね。いつも利用しているオンラインHMVで検索しても両者のヒット件数には数倍の違いがあります。

 こうした傾向は20世紀の中頃から顕著になってきたようで、例えば今回演奏する6曲の「無伴奏のヴァイオリン・ソナタ&パルティータ」についても、19世紀においてはその存在は知られていても、練習曲程度にしか思われてなく、その評価が高まり全曲演奏が行われるようになるのは20世紀の半ばころからのようです。

 無伴奏チェロ組曲のほうがやや早いようで1930年代にパブロ・カザルスが全曲録音しています。 私たちにはなじみの深いリュートのための作品が全曲録音されるようになったのは1970年代からです。



バロックブームにも乗って

 20世紀、特に半ば以降、バッハの評価は一段と高まりましたが、戦後ヴィヴァルディなどの作品が再評価される、いわゆる ”バロックブーム” の波に乗ってバッハの様々な作品も音楽愛好者や一般の人々に聴かれるようになります。

 それまでクラシック音楽というと「運命」、「未完成」といったところでしたが、この時代にはヴィヴァルディの「四季」や「海の嵐」などと共にバッハの「ブランデンブルク協奏曲」などが人気曲となりました。

 ヘンデルの方はというと、なぜかその波にはイマイチ乗り切れなかったようで、そうしたことも相まって今現在のバッハとヘンデルの関係になってしまったのでしょう。



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1950~60年代にバロック・ブームが起き、イムジチ合奏団の演奏するヴィヴァルディの「四季」が爆発的な人気となった。



ギターに関してはさらに

 ギターに関して言えば、なんといっても当ブログで書かれている記事、および文字数などはHMVの検索数以上に差があります。バッハについてはこれまでソル、タレガ、バリオス、あるいはスペインの作曲家アルベニス、グラナドスと、そうしたギター関連作曲家に比べても圧倒的に(あきれるくらい!)たくさん書いていますが、ヘンデルとなると、ほぼ書いた記憶がありません。 

 これは私個人的な趣味や傾向というより、ギター愛好家全体に言えることで、バッハはギターの作品こそは残していませんが、リュートの作品を残していますし、また無伴奏のヴァイオリンやチェロの曲もギターで演奏しやすい曲です(簡単ではないが)。

 一方、ヘンデルの作品をギターで演奏する場合はチェンバロ曲などですが、しかし一部の曲を除いてヘンデルの曲をギター、特に独奏で弾くのはかなり難しいところです。
 
 そうした現実的な理由もギター界におけるバッハとヘンデルの関係に繋がっていますが、もちろんそれだけでなく一般的な両者の評価の差もギター愛好者に影響を与えているでしょう。



当時の人の評価は誤っていたのか?

 と言ったわけで、両者の評価は当時と今現在で完全に逆転しているのですが、では当時の人は両者の音楽的価値をただしく理解できなかったのか? というとそれは何とも言えないところもあります。

 まず、何の情報も与えず、ある程度音楽が理解できる人(でもバッハやヘンデルの曲を知らない人)に両者の同じジャンル、例えばチェンバロ曲などを聴かせて、「どちらの方がレヴェルの高い曲? あるいは好きですか?」 と質問したら、多分ヘンデルの曲のほうと答える人の方が多いのでは思います。



素直に聴けば

 ちょっと聴いた感じではヘンデルの作品のほうが、なんか凄そうだし、またメロディもきれい。 それに引き換え、バッハの曲は1回聴いただけでは、あまりよくわからないといった感じがするのではないかと思います。 なんの前提もなく聴いたら、やはりヘンデルのほうが人気があるというのはわかるような気もします。



語りたくなる音楽

 確かにバッハの音楽は ”噛めば噛むほど” 的な要素があって、一度ではなくなんども聞き直すとその真価がわかるといった面もあります。 しかしそれだけでなく、音楽、あるいは芸術はただ鑑賞するだけでなく、”語られる” あるいは ”評論される” 要素ももっています。 もしかしたらこうしたことがクラシック音楽の属性の一つかも知れません。

 バッハの音楽はヘンデルに比べ、より ”語り” たくなる音楽なのでしょう。 多くのバッハ・ファンもなんの前提もなくバッハが好きになったわけでなく、そうした文章などを通じてバッハに興味を持った人も少なくないのではと思います。

 ピアノを習うなど、音楽をやる人はどちらかと言えば女性が多いのに対し、バッハを好きな人は圧倒的に男性が多いというのも、そのあたりに関係があるのかも知れません。

 確かに男性のほうが理屈に弱いですね、そういった関係で当ブログでもバッハに関しての蘊蓄が多いのでしょう。