令和時代のギター上達法 38
タレガのグリサンド ~スェーニョ 2
属7で始まる
タレガのスェーニョの続きで、またグリサンドの話から逸れますが、この曲は ”ハ長調” となっています。でも一瞬 「あれ?」 と思うかも知れません。19世紀の曲であれば、ハ長調の曲はほぼCのコード、つまりハ長調の主和音で始まるのですが、この曲は「ソ、ファ、シ」 のG7、つまり属七の和音で始まっています。
G7もれっきとしたハ長調の固有の和音ですから、G7で始まっても特におかしいわけではありませんが、実際はそれほど多くありません。タレガの曲もほとんど主和音で始まっています。

ハ長調の曲だが、主和音(C)ではなく属七の和音(G7)で始まっている
偶然似てしまったわけではない
属七の和音で始まっているのは、ショパンの方の曲も同じです。曲が変ロ長調なのでF7で始まっています。このことからもこのタレガのスェーニョが偶然ショパンのマズルカヘ長調作品7-1に似てしまったのではなく、冒頭の部分を引用したことがわかります。要するにパクリですね。
ただしこの時代のパクリは、その原作者をリスペクトする意味のほうが強く、決して悪いことは考えられていませんでした。 タレガとしてはショパンの曲を引用しながらも、それを”ギター化”することを目指したのでしょうね。

ショパンのマズルカの方も属七の和音(曲が変ロ長調なので属7はF7)で始まっている。このことからタレガのスェーニョは偶然このショパンの曲に似てしまったのではなく、意識的に引用したことがわかる。
ト長調のマズルカでは
タレガには 「ト長調のマズルカ」 というのもあります。

タレガのト長調のマズルカ。 終わってみないとト長調だとはなかなかわからない(前半の終わりと後半の終わりは同じ)
ト長調だと言われても
これト長調だと言われても、出だしのところではそれこそ 「え?」 って驚きます。 「これイ短調(Aマイナー)じゃないの?」 って思いますよね。 私もなんとなくそう思っていました。しかし終わりはD7→G、しっかりとト長調で終わっています。
冒頭の和音はどう見てもAmです(非和声音も入っているが)。Amはト長調からするとⅡの和音ということになります。確かにこのAmもト長調の固有の和音の一つですから、この和音で始まっても悪くはありませんが、でもあまり普通ではないですね。
一応2小節目で主和音、つまりGのコードが出てくるのですが、これもちょっと見た目ではGのコードとはわかりにくなっています。少なくとも1拍目はCのコードのように見えます。
しかし、さすがに曲の終わり(前半の終わりも、後半の終わりも同じ)はD7→Gとなっていて、はっきりとこの曲がト長調だとわかります。つまり終わってみないと何の調かわからないようになっているのですね。
トゥー・ファイヴは普通フレーズの終わりに使われる
この曲の冒頭は先ほど言いました通りAmで、次はD7、つまりⅤ7が出てきてます。いわゆるトゥー・ファイヴというやつですね。 この和声進行はたいへんよく用いられるもので、一つの”定石”ですが、通常はフレーズの終わりの方に使われます。それを冒頭に用いたわけです、大胆な発想ですね。
また、それぞれの小節の1拍目に非和声音が含まれることが多いというのもこの曲の特徴、あるいはタレガが工夫したところかも知れません。その場合2拍目で解決する訳ですが、そうすると1拍目が強くなり、2拍目が弱く弾かれることになります。
マズルカは2拍目にアクセントがあると言われるが
よく一般に 「マズルカは2拍目にアクセントがある」 と言われたりしますが、そういう曲やそういう部分もあるのは確かですが、マズルカならすべて2拍目にアクセントがある、といった単純なものではないでしょう。ショパンのマズルカも2拍目にアクセントがある場合もあるし、ない場合もあります。ただし1拍目が弱くなるということはあまりないでしょう。
タレガの作曲法にも注目すべき
おそらくどこかに前例があるではないかと思いますが、それにしても思い切った始まりで、最初にやった人は凄い! タレガというと、ギターらしい技法とか、美しい演奏などが伝えられ、語られる一方、その作曲法とか、和声法などはあまり注目されませんが、よく見ると、この曲に限らず、タレガは高度な和声法を駆使していることがよくわかります。
タレガがそうした高度な技術を身に付けたのは、音楽学校などで正しく音楽を学んだということもあるとは思いますが、数々の編曲でも知られるとおり、タレガはその生涯の中でたくさんの音楽を聴き、弾き、そして編曲したからなのでしょう。
タレガのグリサンド ~スェーニョ 2
属7で始まる
タレガのスェーニョの続きで、またグリサンドの話から逸れますが、この曲は ”ハ長調” となっています。でも一瞬 「あれ?」 と思うかも知れません。19世紀の曲であれば、ハ長調の曲はほぼCのコード、つまりハ長調の主和音で始まるのですが、この曲は「ソ、ファ、シ」 のG7、つまり属七の和音で始まっています。
G7もれっきとしたハ長調の固有の和音ですから、G7で始まっても特におかしいわけではありませんが、実際はそれほど多くありません。タレガの曲もほとんど主和音で始まっています。

ハ長調の曲だが、主和音(C)ではなく属七の和音(G7)で始まっている
偶然似てしまったわけではない
属七の和音で始まっているのは、ショパンの方の曲も同じです。曲が変ロ長調なのでF7で始まっています。このことからもこのタレガのスェーニョが偶然ショパンのマズルカヘ長調作品7-1に似てしまったのではなく、冒頭の部分を引用したことがわかります。要するにパクリですね。
ただしこの時代のパクリは、その原作者をリスペクトする意味のほうが強く、決して悪いことは考えられていませんでした。 タレガとしてはショパンの曲を引用しながらも、それを”ギター化”することを目指したのでしょうね。

ショパンのマズルカの方も属七の和音(曲が変ロ長調なので属7はF7)で始まっている。このことからタレガのスェーニョは偶然このショパンの曲に似てしまったのではなく、意識的に引用したことがわかる。
ト長調のマズルカでは
タレガには 「ト長調のマズルカ」 というのもあります。

タレガのト長調のマズルカ。 終わってみないとト長調だとはなかなかわからない(前半の終わりと後半の終わりは同じ)
ト長調だと言われても
これト長調だと言われても、出だしのところではそれこそ 「え?」 って驚きます。 「これイ短調(Aマイナー)じゃないの?」 って思いますよね。 私もなんとなくそう思っていました。しかし終わりはD7→G、しっかりとト長調で終わっています。
冒頭の和音はどう見てもAmです(非和声音も入っているが)。Amはト長調からするとⅡの和音ということになります。確かにこのAmもト長調の固有の和音の一つですから、この和音で始まっても悪くはありませんが、でもあまり普通ではないですね。
一応2小節目で主和音、つまりGのコードが出てくるのですが、これもちょっと見た目ではGのコードとはわかりにくなっています。少なくとも1拍目はCのコードのように見えます。
しかし、さすがに曲の終わり(前半の終わりも、後半の終わりも同じ)はD7→Gとなっていて、はっきりとこの曲がト長調だとわかります。つまり終わってみないと何の調かわからないようになっているのですね。
トゥー・ファイヴは普通フレーズの終わりに使われる
この曲の冒頭は先ほど言いました通りAmで、次はD7、つまりⅤ7が出てきてます。いわゆるトゥー・ファイヴというやつですね。 この和声進行はたいへんよく用いられるもので、一つの”定石”ですが、通常はフレーズの終わりの方に使われます。それを冒頭に用いたわけです、大胆な発想ですね。
また、それぞれの小節の1拍目に非和声音が含まれることが多いというのもこの曲の特徴、あるいはタレガが工夫したところかも知れません。その場合2拍目で解決する訳ですが、そうすると1拍目が強くなり、2拍目が弱く弾かれることになります。
マズルカは2拍目にアクセントがあると言われるが
よく一般に 「マズルカは2拍目にアクセントがある」 と言われたりしますが、そういう曲やそういう部分もあるのは確かですが、マズルカならすべて2拍目にアクセントがある、といった単純なものではないでしょう。ショパンのマズルカも2拍目にアクセントがある場合もあるし、ない場合もあります。ただし1拍目が弱くなるということはあまりないでしょう。
タレガの作曲法にも注目すべき
おそらくどこかに前例があるではないかと思いますが、それにしても思い切った始まりで、最初にやった人は凄い! タレガというと、ギターらしい技法とか、美しい演奏などが伝えられ、語られる一方、その作曲法とか、和声法などはあまり注目されませんが、よく見ると、この曲に限らず、タレガは高度な和声法を駆使していることがよくわかります。
タレガがそうした高度な技術を身に付けたのは、音楽学校などで正しく音楽を学んだということもあるとは思いますが、数々の編曲でも知られるとおり、タレガはその生涯の中でたくさんの音楽を聴き、弾き、そして編曲したからなのでしょう。
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