中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

私のギター修行 16 理学部物理学科



理学部物理学科に入学したはずだが

 これまでの話のとおり、私は1969年に茨城大学の理学部物理学科に入学したのですが、これまではギターの話ばかりで、その物理学の方の話はほとんど出てきませんでした。

 だいたいのことは皆さんのご想像どおりですが、しかし私は決して最初から勉強の方を捨ててしまったわけではありません。

 1年生では授業は教養部だけですが、もちろん授業はちゃんと出て、語学など必要な単位はすべて取りました。 2年生になると専門の授業がはじまり、私としては普通程度に出席し、予習などもそれなりにやっていたのですが、試験の成績が及第点に及ばず、最終的に重要な科目の単位を2つ落としてしまいました。




自分だけは大丈夫

 当時の物理学科は規定の点数に1点でも足りないと即、落第となりました。 私だけでなく、クラスの半数以上が単位を落としたと思います。

 1年生の時から物理学科の厳しさは先輩たちから聞かされていましたが、その時はまだ、自分だけは大丈夫と思っていました。 しかし、だんだんそれを実感するようになってゆきました。




中学生レヴェル

 2年生の後半頃だったと思いますが、物理学科では厳しいことで有名なS先生の物理数学の授業で演習問題があり、私にも1問課題が出されました。

 授業ではやったことのない問題だったので、あれやこれやいろいろ調べて、そのうち図書館でその問題に関する本を見つけ、その問題の解法が書いてあったので、それに従って計算し、答えがなんとか導き出せました。それを授業の時、黒板に書くと、S先生は、


 「これ誰やったの?   君?   何これ・・・  これ、中学生の解き方だろ。 ただの代入計算なんて・・・・  この式を導くのが問題じゃないのか、  えっ?・・・・   話にならん。   次っ・・・・・  」


 もちろん私のショックは大きいものでした。しかしこの件に関しては2年後にもう一度ショックを受けます。4年生になって固体力学という授業がありましたが、その授業の中でこの問題が出てきたのです。

 その授業では細かく道筋を踏んで話を進めてくれたので、さすがに私にも理解出来ました。 それにしてもS先生は当時2年生の私に、4年生の授業でやる内容の問題を課したのです。 確かにそれを平気でこなす学生もいたのですが。




トラウマ

 余談になりますが、S先生から「中学生レヴェル」、と言われたことについては、その後の私にとって、一種のトラウマになってしまったようです。 大学を卒業してからも物理や数学の試験の夢をよく見ました。 もちろん全く出来なくて苦しんでいる夢です。

 するといつの間にか私は中学生にもどってしまい、中学校の問題がわからなくて苦しんでしまいます。散々苦しんだ後目が覚めて 「そうだ、オレは中学どころか、大学までちゃんと卒業したんだっけ」 と胸を撫で下ろします。

 また別な時には大学は卒業したのだけれど、中学校の勉強が不十分だったからといってまた中学校に入学し直します。まわりは普通の中学生なのですが、私だけ30代か40代になっていて、とても居心地の悪い状況です。

 卒業後はそんな夢をしょっちゅう見ていて、見なくなったのはせいぜいこの10年くらいです。 もっとも今現在は大学の数学どころか、三角関数とか対数、微分方程式などの高校の数学も全くわからなくなっていますから、私の数学などの実力は本当に「中学生レヴェル」です。




あの中村はどうしている

 それからしばらくして、私がもうほとんど授業には出なくなっていた頃、同じ下宿の後輩がS先生がゼミについていて、S先生はその後輩(とても真面目で、成績も優秀)に、こう訪ねたそうです。


 「ところで、あの中村はどうしてる、 君と同じ下宿だったよな。 彼、ギターまだやっているのか・・・・   そう、 なるほど。 そういえば、俺も昔ギターに凝っていたことがあったよなあ・・・・ 」


 その話をその後輩から聴いた時、私は目頭が熱くなりました。 私は物理学科の学生でありながら、物理の先生とほとんど話をしたことがありません。



私がギターをやっていることも知っていた

 特に厳しいことで有名なS先生は”赤鬼”と呼ばれ、私にとっては文字通り鬼よりも怖く、話をするどころか、半径3メートル以内にも近寄った事がありませんでした。

 また、当然、私のような出来の悪い学生などS先生が顔も名前も知っているはずがないと思っていたのです。 そのS先生が私の名前を知っているだけでなく、私のことを気にかけてくれて、ギターをやっていることなどもよくご存知だったのです。




ついてゆける学生と、そうでない学生

 大学入学後、私は確かにギターには熱中していたのですが、でも3年生くらいまでは将来の仕事、つまりプロのギタリストになることなどは考えていませんでした。 ギターはあくまでも趣味で、自分は物理学の関係で仕事をして行くつもりで、勉強もそれなりにはやっていました。

 しかし物理学というのはそんな中途半端な気持ちでは出来るものではなかったようです。 高校の担任の先生が 「物理はやめた方がいいぞ」 と言った意味がこの頃になってようやくわかってきました。 ちなみにその担任の先生は物理の先生でした。

 3年生くらいになると、物理学科の学生は、授業についてゆける学生とそうでない学生とにはっきりと分かれてしまいました、もちろん私は後者のほうです。




大学に入る前から物理の勉強をしていた

 授業についてゆける学生は、まず大学に入る前からすでに大学の物理学を勉強していて(受験の物理ではない)、1年生の時からすで専門の学科の勉強を始め、常に先生たちの研究室に出入りし、先生たちにいろいろ聴いたり、また物理学について議論しあったりしていたようです。

 高校の延長のような気持ちで”とりあえず”授業に出て、授業以外の時間はほとんどギター部の部室か練習場ですごしていた私などとは全く比較になりませんでした。

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