バッハ:無伴奏チェロ組曲 14
ガヴォット
ブレーは トン、トン、トン で、ガヴォットは ドン、 ドン、 ドン ?
ガヴォットについてはブレーのところでも書きましたが、アウフタクトの拍数が違う以外はブレーとよく似ています。
どちらも基本的に2拍子(2分の2拍子)ですが、時には4拍子で書かれることもあります。
テンポはどちらも比較的速い舞曲ですが、ブレーに比べてガヴォットの方がやや遅めに演奏されることが多いようです。
またガヴォットはアウフタクトが4分音符2個、つまり1拍分あるので、半拍(4分音符1個)のブレーに比べて2拍子感は強く出ます。
流動感のあるブレーに比べて、ガヴォットのほうが落ち着いた感じで、力強さがあります。
擬音的に表現すれば、ブレーは ”トン・トン・トン・トン” とつま先立ちで進む感じですが、 ガヴォットは ”ドン、 ドン、 ドン” としっかりと踵で床を踏みしめる感じでしょうか。
メヌエット、ブレー、ガヴォットをそれぞれ2曲ずつ
バッハの6曲のチェロ組曲の第5曲は、 第1、2番がメヌエット、 3、4番がブレー、 5、6番がガヴォットとなっています。
この3つの舞曲の特徴を整理すると、
メヌエット=軽快、可愛い、中庸
ブレー=快速、流動、小粋
ガヴォット=陽気、堂々、落ち着き
と言ったようになるでしょうか。
この3曲の性格の違いが、6つの組曲の性格におおいに関係する
このオプショナルに挿入された3つの舞曲の性格が、6つのチェロ組曲の性格に大きく関わることになります。
組曲第1、2番にはメヌエットが挿入されますが、そのうち第1番ト長調は他の5曲に比べ技術的にはあまり難しくなく、親しみやすさがあります。
第2番イは短調は、同じ短調の第5番に比べると、あまり重量感はなく、どちらかと言えばメロディックに出来ています。
ブレーを挿入曲とする第3番と第4番は、第1、2番に比べると勢いがあり、豪快さのようなものもあります。
ガヴォットを含む第5、6番はさらに力強さが加わり、重量感もあります。 もちろん技術的にも難しいものとなっています。
6曲のチェロ組曲は、このように挿入曲を見るだけでも、軽快で親しみやすいものから、よりいっそう重厚で内容の深いものになってゆくことがわかります。
ガヴォトのようでガヴォットでない
若干話は変わりますが、鍵盤のための「6つのパルティータ」の第6番の5曲目に「テンポ・ディ・ガヴォット」という曲があります。
ちょっとユーモラスで、たいへん印象的な曲です。 適当な歌詞を付ければ子供の歌にもなりそうです。

パルティータ第6番の第5曲「テンポ・ディ・ガヴォット」 譜面上の付点音符は通常3連符的に演奏され、短調だが軽快な感じがする。 何か子供の歌のような親しみやすさがある。 確かにガヴォットと言う感じではない。
「テンポ・ディ・ガヴォット」というのは「テンポだけはガヴォットだけど、舞曲ではない」 言い換えるなら 「ガヴォットぽいけど、ガヴォットじゃない」といったところでしょうか。
確かに聴いた感じはガヴォットぽくはありません。 付点音符も3連符風に演奏されることが多いので、ジグぽくも聴こえます。
でもやはりガヴォットという言葉を入れているのは、ガヴォットにはこのようなユーモラスな感じや人懐っこさも含まれるのかも知れません。
どこがブレーらしくないのか
他にも無伴奏ヴァイオリンパルティータ第1番ロ短調の4曲目(最後の曲)は、普通「ブレー」と書かれたり、呼ばれたりしていますが、バッハ「ブレー」ではなく、 「テンポ・ディ・ボレア」と表記しています。
この曲など、ブレーらしくないわけでもなく、このようにまわりくどいいい方せず、シンプルに「ブレー」でもよかったのではないかと思いますが、バッハにとっては、この曲は、どこかブレーらしくないところがあるのでしょう。

無伴奏ヴァイオリンパルティータ第1番の「テンポ・ディ・ボレア」。 別に「ブレー」でもよかったのではないかと思うが、バッハにとってはこの曲はブレーらしくないのだろう。 因みにボレア(Borea)はイタリア語表記。
形の上では問題なさそうだが
その、どこがブレーらしくないのかというこは、たいへん難しいところですが、2分の2拍子だとか、アウフタクトが4分音符1拍だとか、形の上ではブレーらしくないところはありません。
とすれば、性格的にブレーではないということになるでしょう。
この曲のどういったところが 「ブレー的でない」 のかわかると、逆に 「ブレーとはどういいた性格の舞曲か」 ということもわかることになるでしょう。
この曲の他のブレーと違う点とすれば、重厚さ、力強さ、悲劇的といったことだと思います。
何といっても冒頭の和音が特徴的で、ヴァイオリンの4本の弦をフルに使って短和音を鳴らしています。
このような点は本来のブレーのはないところと、おそらくバッハは考えたのでしょう。
本来のブレーはもっと軽快なもので、あまり重量感を伴ってはいけないものなのでしょう。 もちろんあまり悲劇的でもいけない。
ということは逆に、この曲は軽快、あるいは快速というより、力強く、劇的に演奏すべきなのかも知れません。
ガヴォット
ブレーは トン、トン、トン で、ガヴォットは ドン、 ドン、 ドン ?
ガヴォットについてはブレーのところでも書きましたが、アウフタクトの拍数が違う以外はブレーとよく似ています。
どちらも基本的に2拍子(2分の2拍子)ですが、時には4拍子で書かれることもあります。
テンポはどちらも比較的速い舞曲ですが、ブレーに比べてガヴォットの方がやや遅めに演奏されることが多いようです。
またガヴォットはアウフタクトが4分音符2個、つまり1拍分あるので、半拍(4分音符1個)のブレーに比べて2拍子感は強く出ます。
流動感のあるブレーに比べて、ガヴォットのほうが落ち着いた感じで、力強さがあります。
擬音的に表現すれば、ブレーは ”トン・トン・トン・トン” とつま先立ちで進む感じですが、 ガヴォットは ”ドン、 ドン、 ドン” としっかりと踵で床を踏みしめる感じでしょうか。
メヌエット、ブレー、ガヴォットをそれぞれ2曲ずつ
バッハの6曲のチェロ組曲の第5曲は、 第1、2番がメヌエット、 3、4番がブレー、 5、6番がガヴォットとなっています。
この3つの舞曲の特徴を整理すると、
メヌエット=軽快、可愛い、中庸
ブレー=快速、流動、小粋
ガヴォット=陽気、堂々、落ち着き
と言ったようになるでしょうか。
この3曲の性格の違いが、6つの組曲の性格におおいに関係する
このオプショナルに挿入された3つの舞曲の性格が、6つのチェロ組曲の性格に大きく関わることになります。
組曲第1、2番にはメヌエットが挿入されますが、そのうち第1番ト長調は他の5曲に比べ技術的にはあまり難しくなく、親しみやすさがあります。
第2番イは短調は、同じ短調の第5番に比べると、あまり重量感はなく、どちらかと言えばメロディックに出来ています。
ブレーを挿入曲とする第3番と第4番は、第1、2番に比べると勢いがあり、豪快さのようなものもあります。
ガヴォットを含む第5、6番はさらに力強さが加わり、重量感もあります。 もちろん技術的にも難しいものとなっています。
6曲のチェロ組曲は、このように挿入曲を見るだけでも、軽快で親しみやすいものから、よりいっそう重厚で内容の深いものになってゆくことがわかります。
ガヴォトのようでガヴォットでない
若干話は変わりますが、鍵盤のための「6つのパルティータ」の第6番の5曲目に「テンポ・ディ・ガヴォット」という曲があります。
ちょっとユーモラスで、たいへん印象的な曲です。 適当な歌詞を付ければ子供の歌にもなりそうです。

パルティータ第6番の第5曲「テンポ・ディ・ガヴォット」 譜面上の付点音符は通常3連符的に演奏され、短調だが軽快な感じがする。 何か子供の歌のような親しみやすさがある。 確かにガヴォットと言う感じではない。
「テンポ・ディ・ガヴォット」というのは「テンポだけはガヴォットだけど、舞曲ではない」 言い換えるなら 「ガヴォットぽいけど、ガヴォットじゃない」といったところでしょうか。
確かに聴いた感じはガヴォットぽくはありません。 付点音符も3連符風に演奏されることが多いので、ジグぽくも聴こえます。
でもやはりガヴォットという言葉を入れているのは、ガヴォットにはこのようなユーモラスな感じや人懐っこさも含まれるのかも知れません。
どこがブレーらしくないのか
他にも無伴奏ヴァイオリンパルティータ第1番ロ短調の4曲目(最後の曲)は、普通「ブレー」と書かれたり、呼ばれたりしていますが、バッハ「ブレー」ではなく、 「テンポ・ディ・ボレア」と表記しています。
この曲など、ブレーらしくないわけでもなく、このようにまわりくどいいい方せず、シンプルに「ブレー」でもよかったのではないかと思いますが、バッハにとっては、この曲は、どこかブレーらしくないところがあるのでしょう。

無伴奏ヴァイオリンパルティータ第1番の「テンポ・ディ・ボレア」。 別に「ブレー」でもよかったのではないかと思うが、バッハにとってはこの曲はブレーらしくないのだろう。 因みにボレア(Borea)はイタリア語表記。
形の上では問題なさそうだが
その、どこがブレーらしくないのかというこは、たいへん難しいところですが、2分の2拍子だとか、アウフタクトが4分音符1拍だとか、形の上ではブレーらしくないところはありません。
とすれば、性格的にブレーではないということになるでしょう。
この曲のどういったところが 「ブレー的でない」 のかわかると、逆に 「ブレーとはどういいた性格の舞曲か」 ということもわかることになるでしょう。
この曲の他のブレーと違う点とすれば、重厚さ、力強さ、悲劇的といったことだと思います。
何といっても冒頭の和音が特徴的で、ヴァイオリンの4本の弦をフルに使って短和音を鳴らしています。
このような点は本来のブレーのはないところと、おそらくバッハは考えたのでしょう。
本来のブレーはもっと軽快なもので、あまり重量感を伴ってはいけないものなのでしょう。 もちろんあまり悲劇的でもいけない。
ということは逆に、この曲は軽快、あるいは快速というより、力強く、劇的に演奏すべきなのかも知れません。
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