中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。


ギターをやるしかなかった

 4年生になってしばらくすると、物理学の授業には完全についてゆくことが出来なくなり、ほとんど授業にも出なくなりました。さらにそれまで生活のすべてだったギター部もやめ、精神的にも行き詰ってしまいました。学業のほうでの将来の見通しが全くつかなくなったその状況では、私は自分の将来をギターにかけるしかありませんでした。それが冷静考えて、自分の将来の仕事としてふさわしいかどうか、あるいは私にその資格があるかどうかではなく、それがその時の私が、私自身の将来のために出来た唯一の選択でした。


荻津節男先生

 もちろんプロのギタリストになるために具体的にどうしたらよいかなど全くわかりませんでしたが、まず何と言っても自分の実力をつけるしかないと思い、ギター部のOBでもあり、講師でもあった荻津節男先生のところに習いに行くことにしました。荻津先生には時には時間を忘れ、たいへん丁寧にレッスンをしていただきましたが、私がギターをちゃんと習うのはこの時が初めてです。先生からは「カルカッシ25の練習曲」などのレッスンを受けました。入門してすぐに発表会にも出していただきましたが、無謀にも1ヶ月足らずの練習期間で、ポンセのイ短調組曲の「アルマンド」とヴィラ・ロボスの練習曲第1番を弾きました。


ギターのほうだけじゃなく、話し方とかもね

 荻津先生にはレッスンだけでなく個人的にもいろいろ相談に乗っていただきました。自分から切り出した訳ではないとは思いますが(そんな態度や顔はしていましたが)、荻津先生の方から「中村君、プロになりたいの?」と言って下さいました。「そう、じゃ、いろいろ勉強しなくちゃね・・・・ ギターのほうだけじゃなく、話し方とかもね」といった内容のことを、その時先生はおっしゃられた思いますが、本当にそのとおりだったと思います。その頃の私は、どちらかと言えば無口な方でしたが、たまに口を開くと、相手の考えや立場など全く考えず、また何の気遣いもせず、一方的に自分の考えをしゃべりまくったりしていたと思います。おそらく相手の人に不快な感じを与えたりしたことも多々あったのではないかと思いますが、さらにそのことにも気がつかなかったこともあったでしょう。


ギター教室の仕事

 荻津先生に習うようになって数ヶ月経った頃(4年生の夏)から、先生の暖かい心遣いで、土浦市や水戸市内などのギター教室の講師の仕事をいただくようになりました。それまでギター部で後輩たちを指導したりはしていたのですが、実際に一般の人を教えるのはずい分と違いました。また年齢や個人差も大きく、使用している教材もほとんど人によって違うので、それにも困惑しました。初めて見る曲も結構多く、初見で生徒さんに弾いて聴かせたり、楽譜を見るだけで曲の内容を把握しなければならないこともよくありました。もちろんそれが十分にこなせたわけではありませんが、私自身にとってよい訓練になったのは確かです。翌年になると(5年生=まだ在学中)さらに仕事をいただき、日立市や、石岡市、水戸市などの音楽教室で週に4~5日、ギターを教えるようになりました。


松田晃演先生

 また荻津先生に習い始めて7~8ヶ月くらいたった頃(4年生の秋)、荻津先生から他の先生に習ってみるように薦められ、石岡の一ノ瀬(現性、北村)さんの紹介で、当時東京にいらっしゃった松田晃演先生のところに習いに行きました。松田先生は、アンドレ・セゴビアに師事し、また渡辺範彦さんや、菊池真知子さんなどのすぐれたギタリストを育て、NHKテレビのギター教室の講師なども担当した、たいへん評価の高い先生でした。松田先生のところではカルカッシやカルリなどの初級の練習曲を中心にレッスンを受けました。松田先生のレッスンは簡単なものから、きっちり表情付けを行うというレッスンで、先生の意図をその言葉や先生のギターの音から読み取らなければならないのですが、それは当時の私にとってとても勉強になりました。また簡単な曲でもちゃんと弾けばやはり良い曲になるということも学びました。さらに間近で聴く先生のギターの音はとても美しく、開放弦ですらとても柔らかく、ふっくらとした音でした。

 目黒のあった松田先生のレッスン室には私と同年代くらいの多くの生徒さんが習いに来ていました。したがってレッスンの番が回ってくるまでにはかなり時間がかかり、実際にレッスン受ける時間も長くて20分程度でした。それだけでは、わざわざ東京まで出てくる意味がないので、順番が回ってくるまでの間と、自分のレッスンが終わった後に、楽譜を見ながら他の人のレッスンをずっと聴いていました、合計3時間くらいは聴いていたと思います。実際には松田先生のところでは直接レッスン受けて覚えた事よりも、そうして他の人のレッスンを聴いて覚えた事のほうが多かったと思います。松田先生には、先生が東京を離れるまで、1年弱ほど習いました。


両親に

 両親にはいつ私がギターで仕事をしてゆくということを言ったのか、あまり記憶が定かでありませんが、おそらく4年生の後半頃、ぼちぼちギター教室の仕事などを始めていた頃だと思います。両親といっても相変わらず父とは正面から話が出来なかったので母に話しただけですが、特に驚きも反対もされず、「あ、そう」というくらいな感じだったと思います。もっともそれまでの私の行動などから察しはついていたのでしょう。大学在学中に2度ほど楽器(富田修、ホセ・ラミレスⅢ)を買ってもらったり、定期演奏会には毎回来てもらっていました。母が時々「お前は私の父親の血をひいて芸事の才が・・・・」と言っていたのは、だいたいこの頃です。実際には私は祖父の芸事の才も、また放蕩癖も受け継ぎがなかったことも前に言ったとおりです。

 
スポンサーサイト
コメント
コメントする
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する