中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。


理学部地学科    

 大学4年生の頃は一時期、精神的な不安定も手伝って、大学をやめようと思っていました。しかし4年生の終わり頃にはやや落ち着きを取り戻し、また荻津先生からギター教室を何ヶ所か任されるなど、多少ギターの方でやってゆく見通しもつきかけてきたので、多少年数はかかっても大学は卒業しようと考えるようになりました。当時茨城大学の理学部には地学科(現、地球物理学科)もありましたが、その頃はまだ正式な学科になっていなくて、教養部から専門の学部に進級する際に他の学科などから転科する形になっていました。幸いにして転科に必要な単位はとっていたので、普通の学生より2年遅れにはなりますが、新規一転、地学科に転科して卒業を目指すことにしました。もっとも地学科は正式の学科ではないので、形の上では物理学科在籍で、卒業も物理学科卒業ということになります。


地学科の授業

 地学科は当時、先生が3人に学生が私を含め6~7人と、こじんまりした学科でしたが、とても家庭的な感じで、先生や他の学生たちと親しくすることが出来ました。時折先生方はじめ、地学科のメンバーで飲みにいって、いろいろ話を聴かせていただいたり、また語り合ったりしました。地学の授業は、時には野外実習があったり、また資料作成などの細かい手作業があったりで、いつもピリピリとした雰囲気だった物理の授業に比べ、何かほっとするものがありました。地学科に移ってからはギター教室の仕事も結構ありましたが、授業にはちゃんと出て、必要な単位は修得し、卒業研究も仕上げることが出来ました。卒論の先生である高橋先生には、とても親身に指導していただきましたが、私がギターの方に進むということも理解していただき、また私の演奏会にも聴きに来ていただきました。


卒研発表会

 私の卒業研究は「水戸層における放散虫の研究」というものでした。放散虫というのは海中の微生物の殻の化石で、当時まだよく研究されていない分野でした。偕楽園や那珂川沿いに露出している地層(水戸層=新生代、第4紀、更新世)から岩石を取り出し、研究室でそれを砕いて、顕微鏡を見ながら小さな化石を一つずつ筆先で拾い出しました。合計数千個ほど集めて、当時なされていた分類法によって分類しました。 卒論発表会は地学科のOB(ほとんどの人は地学の先生!)がたくさん列席している前で行います。拙い卒論ではあったと思いますが、そういう人たちの前で発表するのは、緊張もしましたが、自分も一端の地学科卒業生になれた気がして、今では楽しい思い出の一つです。


僕の卒業証書ありますか?

 卒業式の日になりました。私は2年遅れで、卒業式に出るのが恥ずかしかったので、式が終わった頃を見計らって、事務局に卒業証書をもらいに行きました。不思議に思うかも知れませんが、この時は私はまだ自分が卒業できたかどうかはっきりわからなかったのです。卒業近くなっても特に大学の方から通知が来るわけでもなく、ただ自分自身で修得した単位数を計算して「単位は足りている」と思っているだけですから、どこかで計算違いとか手違いなどあれば「あなたの卒業証書はありません」と言われる可能性もあったのです。

 事務局で「物理学科の中村ですが、僕の卒業証書ありますか?」と聴くと、その事務の人は私の質問には答えず、

「物理学科の中村君ね・・・・  はい、これ」

といって卒業証書と卒業証明書を渡してくれました。とてもほっとしました。ちゃんと単位は足りていると確信はしていたのですが、証書をもらうまでかなりドキドキでした。

 私自身としてはそれほど卒業にこだわったわけではないのですが、両親のことを考えると、絶対必要なものと思いました。卒業証書はつい最近まで、栃木の実家の、いつも父が座っているところのすぐ上にずっと掛けてありました。卒業証明書の方は、結局使うことは一度もありませんでした。


大学生活6年間

 という訳で普通の人より2年余計に大学生をやりましたが、そのほとんどはギターや、音楽に携わって過ごしていました。肝心な勉強、特に専門の物理学の方はたいして理解できずに終わってしまいました。しかし結果的に数学、物理学、地学などをほんの少しずつ学び、またそれまであまり興味のなかった文学や、芸術、西洋史などにも興味を持つようになりました。6年間が終わってみれば、どの分野においても深い知識は得られませんでしたが、「広く、浅い」知識は身に付けることが出来たと思います。今の仕事を考えれば、それはかえって良かったのではないかと思います。

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