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中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

   「2」 のつづき

 いよいよ新人戦となりました。まず地区大会で各グループ3チームの総当りのリーグ戦を行い、1位のチームが県大会に進出します。最初の試合は9-0で大勝、その先制点は私が入れました。ゴール前にフラフラと上がったボールを頭で押し込んだだけですが、これが記念すべき私の公式戦初ゴールです。次の試合の先制点も私が入れました。こちらはミドル・エリアで右からのハーフ・バウンドの結構難しいボールでしたが、うまくゴール右隅に決めることが出来ました、公式戦2ゴール目です。この試合は3-0と点差こそ少ないが、一方的なゲームで、味方のキーパーはほとんどボールに触りませんでした。


 以上のように圧勝で地区大会を勝ち上がりましたが、県大会のほうは、まず3チームでの予選リーグを行い、1位と2位のチームが決勝トーナメントに進出、つまり最下位にならなければいいわけです。チームには楽勝ムードが漂い、決勝トーナメント進出は間違いないといった雰囲気でした。しかし県大会の試合が始まってみると私たちの予想とは全く違う試合になりました。対戦した2つのチームともチームの完成度が私たちのチームとまるで違うのです。私たちのチームはどちらかと言えば個人技を主としたしたチームで、あまりパス回しとか、チーム戦略なんてあまりありませんでした。対戦したどちらのチームともしっかりとしたゲーム・プランをもっており、特に守備に関しては、こちらの攻撃の選手一人一人をしっかりとマークし、自由に仕事が出来ないようにしていました。もちろん私のほうにもきっちりマークが付き、ほとんどプレーが出来ない状態でした。点差こそはあまりつきませんでしたが、二つの試合とも完敗です。


 自分たちの力を過信していただけに、大会が終わってからのチームの落ち込みはかなりのもので、私もこの時ばかりはサッカーをやめようと思いました。私などがいたのではこのチームは強くなれない、早い段階で後輩たちに座をゆずるべきだと考えました。しかし決断が付かずにぐずぐずしているうちに、他の仲間が次々にやめてゆき、いつのまにか1年生以外で練習に出ているのは私だけになってしまいました。結局私が1年生の指導をしなければならなくなり、やめるのも休むのも出来なくなってしまいました。


 3年生になると部活をやめる人のほうが多かったのですが、私はもう一人の元部長と残りました。チームのほうは攻撃の核となる選手もいなくて、前年よりは弱体化していました。6月に大会があり、1回戦は勝ち残ったのですが、2回戦で対戦するのはなんと昨年の新人戦で戦って何も出来ずに負けてしまった、あのチームです。私たちの試合のほうが先に終わったので、そのチームのゲームを観戦しました。昨年よりいっそう洗練されたチームになったようです、きれいにパスをまわしてきて、それぞれ個人技もあります。今の私たちのチームでは全く歯が立たないと感じました。よく観察するとその中心、つまり司令塔的な役割をしている選手は私のポジションと相対するポジションにいて、ほとんどの攻撃の基点になっているようで、ボール扱いもなかなかです。私はこの選手を押さえれば、なんとかゲームになると思いました。


 2回戦当日は土砂降りの雨で、私にとってはいつもグラウンド状態の悪いところで練習しているので、かえって好都合でした。試合が始まると私は、反則すれすれのタックルなどを行い、その相手の司令塔を徹底的にマークしました。さらに田んぼのようなグラウンドに足元をとられたりで、その選手はほとんど思うようなプレーが出来なくなっていました。結局私のサイドからの相手の攻撃は完全につぶした思います。しかしながら両チームの実力差は歴然としていて結果的には1-3で負けましたが、私自身はとても満足のゆく試合でした、借りを少し返した気持ちにもなり、また一人前の高校サッカー選手になった気がしました。結局その後も11月頃まで、ほとんど受験近くまで毎日サッカーをやることになりましたが、楽しい毎日でした。他の人より少し時間がかかりましたが、この頃になると普通のウイング・プレーヤーがすることが出来るようになりました。


 あれだけ遅かった足も、いつのまにか50メートルで7秒を切るようになりました。もちろんこの程度では速いとまではゆきませんが、私の場合最初の数歩だけは特に速く、最初の数歩で相手の前に体を入れ、ボールを自分のものに出来るようになりました。ウイング・プレーヤーというのは相手選手とボールの追いかけっこによくなりますが、この頃にはその追いかけっこではほとんど勝てるようになりました。またこれが一番大きいのかも知れませんが、ゲームの流れとか、先の予測がだいぶ出来るようになり、次に何をすればよいかわかるようになってきました。ある試合で、オフサイド・ルールの裏をついて、逆サイドのエンド・ライン付近までいっきに走り、エンド・ラインぎれぎれでスローインを受け取り(スロー・インにはオフ・サイドはない!)、ゴール前に絶妙のセンターリング。もちろんゴールも決まり、このプレーは私の中でのベスト・プレーです。


 私は、子供の頃はわがままで、辛いことやがんばることなど大嫌い、勉強もスポーツもほとんどしたことがないという子供でした。高校のサッカー部に入ってはじめて、努力とか辛抱とかをした訳ですが、努力が結果を生むと言うことも、この時はじめて実感しました。それまでは自分が足が遅いのや、運動が苦手なのは生まれつきで、がんばっても無駄なことだと思っていました。そう言えば子供の頃音楽も苦手で、音楽の試験で皆の前で歌を歌う時など、本当に恥ずかしかった記憶があります(今も苦手ですが)。聴音の時などはこっそり先生の手を見ていました。どこでどう間違えたか今はなんとギター教室の先生などしています。


     終わり





 「私の数字」ということで、私の個人的なことなどをいろいろ書いてきましたが、このシリーズは今回をもちまして最終回とさせていただきます。お付き合い下さった方々、本当に有難うございました。




 次回からは「中村俊三のギター上達法」と称しまして、ネット上のギター・レッスンを行ってゆきます。私のレッスンを受けている方は通常のレッスンの補足として、ぜひ読んで下さい。また他の先生などに習っている方も、こんな教え方もあるのかと読んで頂ければと思います。その他、独学の方、かつて習っていた方、これから習おうと思っている方など、ギターに興味のある方ぜひ読んでみて下さい。  
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