中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

 昨日(7月20日)は、午前中つくば市で行われた<ギター・フェスティバルinつくば>の実行委員会に出席した後、水戸市民会館で行われた<あひる会合唱団第47回定期演奏会>を聴きに行きました。プログラムは、前半がガブリエル・フォーレの曲と野口雨情作詞の曲、後半はモーツァルト最晩年の大作、レクイエムです。

 私自身はあまりこうした合唱関係のコンサートにはあまり行く事がないのですが、あひる会の演奏は市民音楽会で時々聴いていました。でもこうしてまとまった形で聴くと、やはり実力の高い合唱団なjだなと思いました。美しく、しっかりとした響き、何と言っても演奏者全員の意思統一がなされているような気がしました。

 なんと言ってもこの日のメインは後半のレクイエムだと思いますが、私がめずらしくコーラスのコンサートに足を運んだのもこの曲に大いに関係があります。会場いっぱいに広がる響きに、モーツァルトが最後の力をふりしぼって書いた名曲の魅力が生で、直接伝わってきた感じがしました。「ラグリモサ」の最後のアーメンなど、演奏者も聴衆も、その会場にいた人は皆、同じような感動を覚えたのではないかと思います。

 「音楽はどんな時にも美しくなければならない」と語り、実際にそれを実行していたモーツァルトですが、死に直面した時、ベートーヴェンのように悟りきったような穏やかな音楽は書かなかったようです。死に直面したモーツァルトは、その死を恐れ、悲しみ、振り乱して絶叫しているような感じが、私にはします。でもそれは裏返せば生きる事を讃えることなのかも知れません、モーツァルトのオペラではどんな端役にでも生命感溢れる音楽を書いています。

 同じ死に関する音楽でも前に書いたシューベルトの「冬の旅」のように、ともすれば聴くことに苦痛を感じるようなことは、このモーツァルトの曲にはないように思います。死を恐れ、悲しむことは、言い換えれば生を喜ぶことに他ならないからなのでしょう。「冬の旅」では前に言ったとおり、最後には死を悲しむどころか、死を望むこともしなくなり、生とか死とかに全く無関心になってしまいます。これこそ本当に恐ろしいことだと思います。

 それにしてもこのレクイエムは前述の「ラグリモサ」の「アーメン」のところを聴くと、ここで曲が完結してしまったような感じがします。実際はここのところがちょうど曲の半分にあたります。モーツァルトはこの曲の最初の<イントロイトゥス>と<キリエ>をほぼ完成させた後、この<ラグリモサ>の8小節まで声楽部分とバスを書いて力尽きてしまいました(よくご存知のことかも知れませんが)。曲全体は弟子のジェスマイアーによって完成され、特に後半はジェスマイヤーの作曲といってもいいようです。そんなこともあってこの曲の前半と後半とでは、聴く人に訴えかけるものはやはり違うようです。

 このコーラスの伴奏に使用したのは2台のエレクトーンでした。以前ヤマハ音楽教室などで仕事をしていたので、当時よくエレクトーンの音は聴いていたのですが、今回聴いたエレクトーンの音は実際のオーケストラの音をかなり忠実に再現していて、本当にオーケストラのように聴こえます。またこれはクラリネット、これはトロンボーン、などと楽器の種類も判別できます(もっともこのクラリネットはオリジナルではバセット・ホルンなんだそうで、そのどちらの音を出していたのかはわかりません)。弦の響きもかなりリアリティがあり、テンパニーの音も本当にテンパニーに聴こえます。以前に比べるとエレクトーンもだいぶ変わったようです、これならギター協奏曲などにも十分使えそうです。

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