令和時代のギター上達法
アポヤンド奏法 2
imaのアポヤンド奏法はいつ頃から使われるようになったか
前回の記事では、リュートやバロック・ギターでは ima のアポヤンド奏法は基本的に使われなかったといったことを書きました。これは絵画などでの演奏姿勢などからも裏付けられると思います。右手全体が下がっていて、この姿勢ではアポヤンド奏法がしにくいと思います。またこれについては後でまた触れるかも知れませんが、アルアイレ奏法で弾く場合の一つのヒントになると思います。
タレガがアポヤンド奏法を多用していたことは知られている
アポヤンド奏法、特に ima のアポヤンド奏法が使われるようになったことがはっきりわかるのはタレガの時代からで、そのことはエミリオ・プジョールの著作の「タレガ伝」にも書かれていますし、その作品からもそれが窺えます。、
また、直接的な師弟関係はないものの、その流れをくむアンドレ・セゴヴィアもアポヤンド奏法を多用していることからも言えます。これは映像などでも確認できますし、私の師であり、セゴヴィアの高弟でもあった松田晃演先生も積極的に使っていました。
ハッキリはしないが
では、いつ頃からアポヤンド奏法(ここでは主にimaに関して)が使われるようになったのかは、なかなか難しいところです。もちろんのことですが、ある日、またはある年を境にすべてのギタリストがアポヤンド奏法を使い始めたという訳ではありません。 またこの「アポヤンド奏法」という言葉自体もいつ頃から使われるようになったのかと言うことも、あまりよくわかりません。
プジョールによれば、タレガの師に当たるフリアン・アルカスも限定的ではあるが、アポヤンド奏法を用いていたが、タレガはそれを積極的に使ったと言っています。 したがってタレガ以前からアポヤンド奏法が使われていたのは確かなようです。
譜面などを見る限り19世紀初頭ではアポヤンド奏法(ima)は使われなかったと思える
しかし、19世紀初頭、恐らく1830~40年頃まではアポヤンド奏法が積極的に使われた形跡はありません。その教本や作品などからして、ソル、アグアドはアポヤンド奏法を用いなかったのは確かで、アグアドは親指の先端の関節の動きで弾弦すると言っているので、親指もアルアイレ奏法で弾いていたようです。 ジュリアーニ、カルリ、カルカッシなどもそれに準じていたと思われます。
使われなかったと言っても、全く使われなかったかと言えば、もちろんそれも断言できません。単音を弾いた場合、たまたまアポヤンド奏法になてしまうこともあるでしょうし、中にはそれを比較的積極的に用いたギタリストもいたでしょう。
もしかしたら
もしかしたら、アポヤンド奏法を使ったかも知れないと言った例として、レゴンディの作品を挙げておきましょう。次の譜面はジュリオ・レゴンディの「序奏とカプリッチョ作品23」の冒頭部です。レゴンディは生存期間が1822~1872年ということですが、幼少時より高く評価され、演奏活動もしていたギタリストです。この作品の作曲年代ははっきりわかりませんが、比較的若い頃、おそらく1830~1850年代くらいのものと思われます(ちょっと幅広いですが)。

ジュリオ・レゴンディの「序奏とカプリッチョ作品23」
小節の最初の音を単音にしている
このように小節の最初の音が単音になっているところがありますが(赤↓)、ここでアポヤンド奏法を使っていた可能性が考えられます。通常小節の最初には低音が付くことが多いのですが、小節の冒頭の音を単音にして、和音はその裏で弾くようになってます。こうすることで冒頭の音をしっかりと弾くことが出来ますね、今現在であれば多くのギタリストはこの単音をアポヤンド奏法で弾くでしょう。
もちろんアルアイレ奏法であっても単音のほうがしっかりと出るので、絶対にアポヤンド奏法を使ったとも言い切れませんが、可能性としてはありそうです。
パガニーニ、コスト、メルツは
パガニーニ、コスト、メルツの場合は、その譜面からすると、アポヤンド奏法を用いた可能性は低いようです。 パガニーニは時代的にも19世紀初頭ですから、当然アポヤンド奏法は使わなかったでしょうが、活動の時期が19世紀の中ごろとなるコスト、メルツも、譜面を見る限りではアポヤンド奏法は使わなかったように思えます。

パガニーニの大ソナタイ長調のギター・パート。 オクターブ・ユニゾンを多用しているところからも、アポヤンド奏法は使わなかったと考えられる。

コストの「リゾンの泉」

メルツの「ハンガリー幻想曲」 作品から見る限りでは、コストもメルツもアポヤンド奏法は使わなかったと思われる。小さい音符で書かれた箇所(2,4小節)は親指で弾いたと思われるが、その場合はアポヤンド奏法の可能性もある。
単旋律=アポヤンド奏法となったのは、19世紀末くらいか
いずれにしても、高音の単旋律をアポヤンド奏法で弾くことが標準になったのは、19世紀末から20世紀初頭にかけてくらいの時期と考えてよいのではと思います。その時期には楽器のの方も変わってきていますから、それとの関連性もあるかも知れません。
アポヤンド奏法 2
imaのアポヤンド奏法はいつ頃から使われるようになったか
前回の記事では、リュートやバロック・ギターでは ima のアポヤンド奏法は基本的に使われなかったといったことを書きました。これは絵画などでの演奏姿勢などからも裏付けられると思います。右手全体が下がっていて、この姿勢ではアポヤンド奏法がしにくいと思います。またこれについては後でまた触れるかも知れませんが、アルアイレ奏法で弾く場合の一つのヒントになると思います。
タレガがアポヤンド奏法を多用していたことは知られている
アポヤンド奏法、特に ima のアポヤンド奏法が使われるようになったことがはっきりわかるのはタレガの時代からで、そのことはエミリオ・プジョールの著作の「タレガ伝」にも書かれていますし、その作品からもそれが窺えます。、
また、直接的な師弟関係はないものの、その流れをくむアンドレ・セゴヴィアもアポヤンド奏法を多用していることからも言えます。これは映像などでも確認できますし、私の師であり、セゴヴィアの高弟でもあった松田晃演先生も積極的に使っていました。
ハッキリはしないが
では、いつ頃からアポヤンド奏法(ここでは主にimaに関して)が使われるようになったのかは、なかなか難しいところです。もちろんのことですが、ある日、またはある年を境にすべてのギタリストがアポヤンド奏法を使い始めたという訳ではありません。 またこの「アポヤンド奏法」という言葉自体もいつ頃から使われるようになったのかと言うことも、あまりよくわかりません。
プジョールによれば、タレガの師に当たるフリアン・アルカスも限定的ではあるが、アポヤンド奏法を用いていたが、タレガはそれを積極的に使ったと言っています。 したがってタレガ以前からアポヤンド奏法が使われていたのは確かなようです。
譜面などを見る限り19世紀初頭ではアポヤンド奏法(ima)は使われなかったと思える
しかし、19世紀初頭、恐らく1830~40年頃まではアポヤンド奏法が積極的に使われた形跡はありません。その教本や作品などからして、ソル、アグアドはアポヤンド奏法を用いなかったのは確かで、アグアドは親指の先端の関節の動きで弾弦すると言っているので、親指もアルアイレ奏法で弾いていたようです。 ジュリアーニ、カルリ、カルカッシなどもそれに準じていたと思われます。
使われなかったと言っても、全く使われなかったかと言えば、もちろんそれも断言できません。単音を弾いた場合、たまたまアポヤンド奏法になてしまうこともあるでしょうし、中にはそれを比較的積極的に用いたギタリストもいたでしょう。
もしかしたら
もしかしたら、アポヤンド奏法を使ったかも知れないと言った例として、レゴンディの作品を挙げておきましょう。次の譜面はジュリオ・レゴンディの「序奏とカプリッチョ作品23」の冒頭部です。レゴンディは生存期間が1822~1872年ということですが、幼少時より高く評価され、演奏活動もしていたギタリストです。この作品の作曲年代ははっきりわかりませんが、比較的若い頃、おそらく1830~1850年代くらいのものと思われます(ちょっと幅広いですが)。

ジュリオ・レゴンディの「序奏とカプリッチョ作品23」
小節の最初の音を単音にしている
このように小節の最初の音が単音になっているところがありますが(赤↓)、ここでアポヤンド奏法を使っていた可能性が考えられます。通常小節の最初には低音が付くことが多いのですが、小節の冒頭の音を単音にして、和音はその裏で弾くようになってます。こうすることで冒頭の音をしっかりと弾くことが出来ますね、今現在であれば多くのギタリストはこの単音をアポヤンド奏法で弾くでしょう。
もちろんアルアイレ奏法であっても単音のほうがしっかりと出るので、絶対にアポヤンド奏法を使ったとも言い切れませんが、可能性としてはありそうです。
パガニーニ、コスト、メルツは
パガニーニ、コスト、メルツの場合は、その譜面からすると、アポヤンド奏法を用いた可能性は低いようです。 パガニーニは時代的にも19世紀初頭ですから、当然アポヤンド奏法は使わなかったでしょうが、活動の時期が19世紀の中ごろとなるコスト、メルツも、譜面を見る限りではアポヤンド奏法は使わなかったように思えます。

パガニーニの大ソナタイ長調のギター・パート。 オクターブ・ユニゾンを多用しているところからも、アポヤンド奏法は使わなかったと考えられる。

コストの「リゾンの泉」

メルツの「ハンガリー幻想曲」 作品から見る限りでは、コストもメルツもアポヤンド奏法は使わなかったと思われる。小さい音符で書かれた箇所(2,4小節)は親指で弾いたと思われるが、その場合はアポヤンド奏法の可能性もある。
単旋律=アポヤンド奏法となったのは、19世紀末くらいか
いずれにしても、高音の単旋律をアポヤンド奏法で弾くことが標準になったのは、19世紀末から20世紀初頭にかけてくらいの時期と考えてよいのではと思います。その時期には楽器のの方も変わってきていますから、それとの関連性もあるかも知れません。
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