中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

 このところさすがにリサイタルのための練習などで、当ブログの更新の間隔か空いてしまいました。そのリサイタルまでにはまだまだ日にちがあるのですが、今度のリサイタルは長期的に準備しているものなので、告知のほうもそろそろ、また長期にわたり、やりたいと思います、ただ更新はまばらになると思いますが。


 まず16年ぶりにリサイタルを行う事にしたいきさつなどから始めたいと思います。
 

 私が最初にリサイタルを行ったのは1976年、25歳の時で、大学を卒業した次の年です。ギター教室の仕事は大学在学中からやっていましたが、大学を卒業して、本格的にこの仕事を始めるということを、周囲の人に知ってもらうためということが主な理由です。もっとも自分の演奏を他の人に聴いてもらいたい、演奏会を行いたいというのは、特に理由なく私の中にあったものだと思います。


 リサイタルとは「独奏会」といった意味で、言葉としてはそれ以上のものはないのですが、私の中ではそれ以来、「リサイタル」と銘打ってコンサートを行うのは特別なものになりました。もちろんそれ以外にもそれなりにコンサートは行ってきたのですが、それらは複数の出演者で行ったり、また特定の人達を対象としたものだったり、あるいは少人数の人に聴いてもらうコンサートなどで、その場合、曲目などもその場の状況に応じたものとなります。私がこれまでリサイタルを行う場合は、少なくとも1年以上前から計画し、その時点での自分が出来る最高のものを、なお且つ一つのまとまったコンサートを行うというように考えてきました。そのようにして1976年以来3~4年位の間隔でリサイタルを行い、1992年までに計6回行いました。


 第1回目のリサイタル(1976年)は県民文化センターと故郷の栃木市民会館で行いましたが、曲目は「魔笛」や「アストウリアス」、「アルハンブラの思い出」、「スペイン舞曲第5番」など、いわゆるギターの名曲的なものが中心で、ヴィラ・ロボスの練習曲などがやや目新しいところだったかも知れません。演奏のほうもまだまだだったと思いますが、結構たくさんの人が聴きに来てくれて、もしかしたら6回のリサイタルでは最も観客が多かったかも知れません。とても緊張し、またとても疲れた記憶があります。


 6回のリサイタルの中には思ったように弾けず、後悔の残った曲や、そこそこ弾けたと思う曲、また「今ではもう弾けないな」と思う曲などもあります。特にアルペジオやトレモロなどの曲は30代くらいの方が今よりクリヤーに弾けていたと思います。あまり認めたくはないのですが、やはり肉体的な衰えはあるのでしょう。第3回目(1983年)でバッハのリュート組曲第2番を弾いた時は自分ながらに本当によく練習したと思います、今より仕事も少なく、体力もあったせいもあると思いますが。長大なフーガを有する本当に難しい曲で、音楽的にはどうかという点もありますが、後からテープを聴いてみると、全曲を通じてさしたるミスもなくなんとか弾ききれています。


 1992年に行った第6回目のあと今回まで16年ほど間があきましたが、その頃になると創がプロを目指してコンクールに出たり、コンサートを行うようになりました。その頃私はどちらかといえばそのバック・アップをするようになり、自分で演奏する機会は少なくなりました。一時期はほとんどコンサートなどを行わないこともありました。2000年を過ぎると、創が家をあけることも多くなり、その頃になるとまた少しずつ演奏もするようになりました。2003年には県立図書館で無料のものですが、定期的に演奏する機会をいただき、その後アコラやギター文化館などでも演奏する機会を時々いただきました。多少なりともまだ私の演奏を聴いてくれる人がいるのかなという勝手な思い込みから、最後に(本当に最後になるかどうかはわかりませんが)もう一度、自分の力のすべてを出し切れるリサイタルをやってみようという気持ちが出てきました。


 と言ったように、構想から5年以上かかって実現したリサイタルということになります。曲目などは最初に考えたり、練習していたものとだいぶ変わってしまいましたが、バッハのシャコンヌだけは最初の構想の時からありました。私には難しすぎるので、かわりに他の曲を練習していた時期もありましたが、「これが弾けないならリサイタルはやめよう」と考え、またプログラムに入れました。


 また長々と個人的なことを書いてしまいましたが、次回からは演奏する曲目について詳しく書いてゆきたいと思います。

 
 
 
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