中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

 鹿島アントラーズが連覇しました、やっぱり強いですね。Jリーグが始まってから15年間でリーグ優勝6回。かつての強豪チームのヴェルディやジュビロが降格や降格の危機にあることを考えると、この15年間ほぼ毎年優勝に絡んできたアントラーズは確かに強いです。


 優勝には運なども当然絡んでくるでしょうが、このように毎年好成績を残すにはフロントを含めた組織としての強さがあるのでしょう。また多少不調の時でも堅固に自らのチーム戦術をまもり、一貫した戦い方をしているところにも毎年好成績を残す要因となっているのでしょうか。鹿島の基本的な布陣は4-4-2(守備側から)で、あまり変わることはないようです。因みに日本代表のほうは、これまでいろいろな布陣で戦っていますが、最近は4-5-1が多くなっているようです。


 40年くらい前私もサッカーをやっていた話は前にしましたが、その当時の教科書などに載っている基本布陣は2-3-5といったものでした。ただ当時でも世界的には4-2-4、または4-3-3で、日本でも代表チームや日本リーグなどレヴェルの高いチームはそのような布陣を採用していました。いずれにしても昔は布陣が前よりだったのは確かで、ホワード5人なんて今ではとても考えられません。負けているチームが終了間際にやけくそになっても、せいぜい3人ホワードを並べるくらいだと思います。またディフェンスが2人なんて、今では監督が相当気が狂わないとやらないと思います。


 私が高校生の時やっていたチームの布陣は3-3-4といったもので、前述の4-3-3の逆になっています。過渡的なものと言えるかも知れません。私のポジションは4人のホワードの一番左側、当時の言葉では左ウイングだったのですが、左ウイングと言えば、当時釜本選手と人気を分けた快足ホワードの杉山選手のポジションで、当時とても人気のあったポジションでした。私がこのポジションになったのは個人技や快足を買われたからではなく、大事なポジションから能力の高い選手をあてはめていった結果、最後に残ったところだったからです。


 確かにサイドからの攻撃はその当時最先端の戦術でしたが、当時の私たちのような末端のチームではサイドからのセンタリングでゴールというのはそう滅多にあるものではありませんでした。当時は、とりあえずボールを前方に蹴って、ホワードがそれを追いかけるといった「キック・アンド・ラッシュ」などという戦術とは言えない戦術もあったくらいで、実際にはこんな素朴な方法の方がゴールにはつながっていました。もちろん今では草サッカーでもこんなことはしないと思います。ディフェンスの能力がある程度高ければ全く通用しない戦術で、ほとんど相手にパスをするようなものです。


 鹿島の話に戻りますが、今後はやはりACLで優勝することが当面の目標になると思います。ぜひJリーグの強豪チームから、アジアの、さらには世界の強豪チームになっていって欲しいと思います。 ところで前から気になっていたのですが、どうして小笠原選手は代表に呼ばれないのでしょうね、確かに今は怪我をしていますが、調子の良い時でも全く声がかからなかったのはなぜなのでしょう。中村俊輔とか遠藤、あるいは中村憲剛などとかぶるからなのでしょうか、監督とそりが合わないのでしょうか、それとも頑固な性格が問題なのかな? もっとも内田以外の主力選手が代表にとられなかったことでメンバーが固定でき、そのことが鹿島のJリーグ連覇につながったのは確かなことでしょう。
 
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