中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

             本 005



サリエーリ  モーツアルトに消された宮廷楽長    水谷彰良著  音楽の友社
                   


 だいぶ前(たぶん20年位前)に「アマデウス」という映画がありました。しばらくしてテレビでも放送しましたから見た人もいるのではないかと思います。そこに描かれているモーツアルトは、それまでの純真で天使のような天才音楽家のイメージからはかけ離れた、なんとも品のないキャラクターになっていて、面食らった人も多かったのではないかと思います。そしてもう一つ、そのモーツアルトの才能に嫉妬し、毒殺したのが当時ウイーンの宮廷楽長をしていたこのアントニオ・サリエーリということになっていました。


モーツアルトにはあったとしても

 現在ある程度クラシック音楽の知識がある人なら、それを鵜呑みにする人はいないと思いますが、このサリエリの「モーツアルト暗殺説」は1820年頃、モツアルトの死後30年ほどしてから浮上してきたようです。この時まだ当のサリエリは存命中でした。もちろん根も葉もない話、「モーツアルトにサリエーリを暗殺する動機」はあったとしても、「サリエーリにモーツアルトを殺害する動機」などありえなかったようです。種々の理由でこのような噂が流布してしまったようですが、これはいわゆる風説被害といったものなのでしょう。


不運なめぐりあわせ

 暗殺説は信じなくとも現在多くの人は、同時代に生きたモーツアルトと比較するとサリエリの音楽などとるにたりないもの、モーツアルトの引き立て役くらいにしか思っていない人も多いのではないかと思います。サリエーリの曲をちゃんと聴いたことのある人など、たとえクラシック音楽ファンの中でもどれだけいるでしょうか(かく言う私もちゃんと聴いたことがありません)。確かにモーツアルトと比較されてはたいていの音楽家は困ってしまうでしょう。どう考えてもサリエーリという人は不運なめぐり合わせにあるようです、もしモーツアルトがいなければサリエーリも、もっと高く評価されていたでしょう。


宿敵の息子も

 そんな音楽史の表舞台には立てなかったウイーンの宮廷楽長、アントニオ・サリエーリについて、その生い立ちからウイーンでの栄光ある地位と活動、そして晩年に湧き上がったモーツアルト暗殺説などが、この本に書かれています。この本で書かれているサリエーリは映画「アマデウス」に描かれた人物とは全く異なり、およそ正反対といってもいいようです。少なくとも他人を妬むような性格ではなく、勤勉で礼儀正しく、特に晩年には無償で多くの若い音楽家を育て、その仕事に関するまで面倒みていたようです。サリエーリが無償でレッスンした音楽家の中には、ベートーヴェン、シューベルト、リスト、ツェルニー、フンメル、さらには映画の中では宿敵のはずのモーツアルトの息子までレッスンしていて、就職のための推薦状まで書いてやっています。またウイーンの音楽界全体の発展にもたいへん尽力したとも書いてあります。因みに、そのモーツアルト(有名な方の)やベートーヴェンなどは主に貴族の子女を相手にレッスンし、結構な謝礼をもらっていたようです。


妨害したのは

 サリエーリのモーツアルト暗殺説の一因となったことの一つに、モーツアルトが手紙の中で「サリエリとその一派が僕の仕事を妨害している」と書いてあることがありますが、その当時サリエーリは押しも押されもしないハップスブルグ家の宮廷楽長、モーツアルトはたとえ才能豊かだったとしても、まだ若い音楽家、年功序列的な当時の宮廷ではサリエーリのほうを重んじて当然だったでしょう。サリエリが意図的に妨害などしなくても、自然と重要な仕事はサリエーリにまわっていったでしょう。もっともモーツアルトの妨害をしたのはサリエーリではなく、先代の女帝のマリーア・テレージアだったようで、モーツアルト親子のことを「乞食親子」と呼んで毛嫌いし、息子達(ヨーゼフ2世、レオポルド大公)にモーツアルトに仕事をまわさないように言っていたようです。


二人仲良く

 この二人、モーツアルトの晩年にはかなり関係もよくなったようで(それ以前も悪かったかどうかはわかりませんが)、サリエーリもモーツアルトの作品をよく演奏していましたし、モーツアルトの最後の手紙ではサリエーリを「魔笛」の公演に招待し、二人ならんで「魔笛」を鑑賞したと書いてあります。「サリエーリは序曲から最後の合唱まで、実に注意深く、観たり、聴いたりしていたが、『ブラボー』とか『美しい』とかおよそ感激の言葉を吐かなかった曲はなかった」とその手紙に書かれてあり、多少大袈裟に書いてあるところはあるかも知れませんがたぶん事実なのでしょう。この本を読んだかぎりではサリエーリは美しいものを美しいと感じ、またそれを言葉にする人なのだろうと思いました。この本の中でもモーツアルトの最後の手紙にこのように書かれたことはサリエーリととっても救いだったのではと言っています。


代表作

 サリエーリには完成されたオペラは40ほどあり、他に多数器楽曲もあるそうです。代表作としては「タラール」「やきもち焼きの学校」「トロフィーオの洞窟」などで、現在では「ファルスタッフ」が高く評価されているようです。最近ではCDも結構出ていて、今私も注文しようと思っています。聴いた感想についてはいずれ書こうと思います。


政治的状況

 この本では、サリエーリのモーツアルト暗殺説が流れた最大の理由は1820年頃のヨーロッパの情勢やウイーンの音楽的な状況が深くかかわっていると書いてあります。時代的にはフランス革命やナポレオン戦争が終わり、絶対王政の時代から帝国主義の時代となり、ヨーロッパ各地にナショナリズムが湧き上がります。それまではどちらかといえば、支配者階級 VS 被支配者階級といった構図でしたが、この頃から「国家」というものの意味が増してゆきます。前世紀でウイーンの宮廷の音楽界で重要な地位に就いていたのはほとんどイタリア人でしたが、この頃から音楽界でも外国人、特にイタリア人排斥運動のようなものが起こったようです。またその頃ウイーンの音楽界ではロッシーニ旋風が巻き起こり、それがイタリア人排斥運動に油を注いだようです。本来ならその矛先はロッシーニに行くべきだったのでしょうが、年老いて無抵抗になっていたサリエーリの方に向いたのかも知れません。「祖国が生んだ天性音楽家ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトが生前十分に認められなかったのはサリエーリなどのイタリア人が妨害したからだ」と言うことなのでしょう。


ミャーミャー

 最後にちょっとギターに若干関係のあることとしては1810年頃、サリエーリがある文章の中で、「こうした楽器奏法の流行により、オーケストラはハーモニーの統一体ではなく、泣いている子供はミャーミャー鳴く猫の集りになってしまいました」と書いていて、その弦楽奏者たちにグリサンドが流行っていることを嘆いています。おそらくギターについても同じで、この頃からグリサンドが多用されるようになったようです。
 
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