20代の頃でしょうか、変な夢をみました。
修学旅行か社会科見学のようです。私はまだ小学生くらいのようで、他の仲間といっしょに列をつくってわいわいとおしゃべりしながら歩いています。まわりの友達は見覚えがあるような、ないような、天気もよく、穏やかな日で、とても楽しそうです。長崎の造船所見学ということのようで、長崎の街の中を歩いています、目的地まではもうすぐです。
突然サイレンの音が鳴り響きました、空襲警報です、気が付いてみると時代は戦争の真っ只中になっていました。造船所など格好の攻撃目標で、最も危険な場所です。私たちはあわてて森の方に向かって逃げ出しました。すでに爆撃ははじまり、爆撃機の轟音と爆弾の破裂音が耳をつんざきます。恐ろしくて後ろを振り向くことは出来ません、まわりには火薬の匂い、真っ黒い煙がたちこめています。なんとか森の中へ逃げ込むことが出来ました。しかしまだ猛烈な爆撃は続いています。森の中じゅうに煙がたちこめ、真っ暗になっています。走りまわった上に煙で息も絶え絶え、友達の姿もまわりには見えません。私は真っ暗の森の中をたださまよい続けるだけでした。
どれくらいさまよったでしょうか、息が苦しい、もうだめだと思ってその場にうずくまると、遠くに一点の光が目に入りました。思わずそちらの方に向かおうとした瞬間、その一点から突然視界が開け、澄みきった空、真っ青な海、森の緑、そして明るく輝く太陽が私の目に飛び込んできました。同時に天から降り注ぐようなフルートの音が聴こえてきます、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のあの有名なテーマです。なんとやすらかな、平和で、幸せに満ちたメロディなんだろう、私はその美しい風景と、幸せいっぱいのメロディにより、その恐ろしい夢から覚めました。なんだ、夢だったのか、平和な時代に生まれ育って本当によかったと胸をなでおろしていると、そのメロディはソロ・ヴァイオリンに、そしてオーケストラの総奏に受け継がれて、朗々と奏でられています。だんだんと意識がはっきりしてきた私は、布団の中でチャイコフスキーの幸せに満ちた響きに酔いながら、平和であることの喜びをかみしめました。
その頃まだ独身だった私はよく朝起きるとFM放送をかけていました。場合によってはまた寝てしまうこともあり、この日も一度起きてFM放送をかけ、そのまま二度寝をしてしまったのです。このチャイコフスキーはFM放送から聴こえてきたものでした。
後から夢の流れと曲の方を比較してみると、音楽にそって夢を見ていたようです。この曲の第1楽章は約18分くらいの曲ですが、時間にするとその第1楽章の7分過ぎくらいのところ、展開部に少し入ったくらいのところから夢を見始めたようです。ここでソロ・ヴァイオリンが有名な主題を重音奏法でややスタカート気味に変奏します、これが最初のシーンで、友達と楽しそうに歩いていたところのようです。この後この主題は行進曲風の伴奏に乗ってオーケストラのテュッティ(総奏)で勢いよく演奏されます、その勢いはだんだん増し、クレシェンドどともに指揮者によってはテンポも上げられ、激しい感じになります。ここが空襲警報が鳴り響き、爆撃が始まったところのようで、アチュレランドのところが大急ぎで森に逃げ込んだところかも知れません。
曲のほうはこのあとソロ・ヴァイオリンのカデンツァに入ります。カデンツァは、アルペジオ、半音階、グリサンドなどからなり、確かにどこに向かっているのかわからないような感じになっており、また結構長めでいつ終わるのかわからない感じです。これが真っ暗な森をさまよっているところなのでしょう。
カデンツァの最後にヴァイオリンが「ラ」の音を最初は半音で、次に全音でトリルを弾きます。半音でのトリルはまだ暗い感じなのですが、全音のトリルは少し明るくなります。ここが暗闇み見えた1点の光かも知れません。そして再現部となり、例のフルートがそっとやさしくテーマを吹き出します。フルートは1フレーズだけですが、フルート・ソロでテーマを吹くのはここだけなので、確かに印象的です。ここが間違いなく澄みきった青空、真っ青な海、輝く太陽が出現するシーンでしょう。その後この部分を聴くといつもその突然現れた、長崎湾の美しい光景を思い出します(本当は全く見たことがないのですが)。その後は、テーマがヴァイオリンに受け継がれて、平和と幸せの旋律を高々に奏するということになります。
この夢以来私の中で、このチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調は平和と幸せの象徴となっています。
若い頃聴いていたナタン・ミルシテイン(vn)とクライディオ・アバド(指揮)のLPのジャケット

誤解のないように言っておきますが、私は昭和26年に生まれで、直接戦争は知りません。ただ「もの心」が付くようになったのは戦争が終わって10年目くらいで、その時代は大人が2人以上あつまれば必ず戦争の話になり、特に空襲の話や食べ物がなかった話をよく聴かされました、子供の頃そんな話をしょっちゅう聴いていたので、すっかり戦争を体験したような気になってしまったのかも知れません。 また長崎どころか九州にも行ったことはありません、小学校の時の修学旅行は鎌倉でした。ただ子供の頃地図を見るのが好きで、長崎は全く行ったことがありませんが、大体の地理的条件は想像出来ます。長崎は細い湾の奥にあって、その湾は山に囲まれています。私が逃げ込んだのはその湾を取り囲む山ということになります。「美しい風景」というのも多分小さい頃の私が、地図からイメージしたものなのでしょう。また「舞台」が長崎になったのは原爆との関係もあるでしょう。
修学旅行か社会科見学のようです。私はまだ小学生くらいのようで、他の仲間といっしょに列をつくってわいわいとおしゃべりしながら歩いています。まわりの友達は見覚えがあるような、ないような、天気もよく、穏やかな日で、とても楽しそうです。長崎の造船所見学ということのようで、長崎の街の中を歩いています、目的地まではもうすぐです。
突然サイレンの音が鳴り響きました、空襲警報です、気が付いてみると時代は戦争の真っ只中になっていました。造船所など格好の攻撃目標で、最も危険な場所です。私たちはあわてて森の方に向かって逃げ出しました。すでに爆撃ははじまり、爆撃機の轟音と爆弾の破裂音が耳をつんざきます。恐ろしくて後ろを振り向くことは出来ません、まわりには火薬の匂い、真っ黒い煙がたちこめています。なんとか森の中へ逃げ込むことが出来ました。しかしまだ猛烈な爆撃は続いています。森の中じゅうに煙がたちこめ、真っ暗になっています。走りまわった上に煙で息も絶え絶え、友達の姿もまわりには見えません。私は真っ暗の森の中をたださまよい続けるだけでした。
どれくらいさまよったでしょうか、息が苦しい、もうだめだと思ってその場にうずくまると、遠くに一点の光が目に入りました。思わずそちらの方に向かおうとした瞬間、その一点から突然視界が開け、澄みきった空、真っ青な海、森の緑、そして明るく輝く太陽が私の目に飛び込んできました。同時に天から降り注ぐようなフルートの音が聴こえてきます、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のあの有名なテーマです。なんとやすらかな、平和で、幸せに満ちたメロディなんだろう、私はその美しい風景と、幸せいっぱいのメロディにより、その恐ろしい夢から覚めました。なんだ、夢だったのか、平和な時代に生まれ育って本当によかったと胸をなでおろしていると、そのメロディはソロ・ヴァイオリンに、そしてオーケストラの総奏に受け継がれて、朗々と奏でられています。だんだんと意識がはっきりしてきた私は、布団の中でチャイコフスキーの幸せに満ちた響きに酔いながら、平和であることの喜びをかみしめました。
その頃まだ独身だった私はよく朝起きるとFM放送をかけていました。場合によってはまた寝てしまうこともあり、この日も一度起きてFM放送をかけ、そのまま二度寝をしてしまったのです。このチャイコフスキーはFM放送から聴こえてきたものでした。
後から夢の流れと曲の方を比較してみると、音楽にそって夢を見ていたようです。この曲の第1楽章は約18分くらいの曲ですが、時間にするとその第1楽章の7分過ぎくらいのところ、展開部に少し入ったくらいのところから夢を見始めたようです。ここでソロ・ヴァイオリンが有名な主題を重音奏法でややスタカート気味に変奏します、これが最初のシーンで、友達と楽しそうに歩いていたところのようです。この後この主題は行進曲風の伴奏に乗ってオーケストラのテュッティ(総奏)で勢いよく演奏されます、その勢いはだんだん増し、クレシェンドどともに指揮者によってはテンポも上げられ、激しい感じになります。ここが空襲警報が鳴り響き、爆撃が始まったところのようで、アチュレランドのところが大急ぎで森に逃げ込んだところかも知れません。
曲のほうはこのあとソロ・ヴァイオリンのカデンツァに入ります。カデンツァは、アルペジオ、半音階、グリサンドなどからなり、確かにどこに向かっているのかわからないような感じになっており、また結構長めでいつ終わるのかわからない感じです。これが真っ暗な森をさまよっているところなのでしょう。
カデンツァの最後にヴァイオリンが「ラ」の音を最初は半音で、次に全音でトリルを弾きます。半音でのトリルはまだ暗い感じなのですが、全音のトリルは少し明るくなります。ここが暗闇み見えた1点の光かも知れません。そして再現部となり、例のフルートがそっとやさしくテーマを吹き出します。フルートは1フレーズだけですが、フルート・ソロでテーマを吹くのはここだけなので、確かに印象的です。ここが間違いなく澄みきった青空、真っ青な海、輝く太陽が出現するシーンでしょう。その後この部分を聴くといつもその突然現れた、長崎湾の美しい光景を思い出します(本当は全く見たことがないのですが)。その後は、テーマがヴァイオリンに受け継がれて、平和と幸せの旋律を高々に奏するということになります。
この夢以来私の中で、このチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調は平和と幸せの象徴となっています。
若い頃聴いていたナタン・ミルシテイン(vn)とクライディオ・アバド(指揮)のLPのジャケット

誤解のないように言っておきますが、私は昭和26年に生まれで、直接戦争は知りません。ただ「もの心」が付くようになったのは戦争が終わって10年目くらいで、その時代は大人が2人以上あつまれば必ず戦争の話になり、特に空襲の話や食べ物がなかった話をよく聴かされました、子供の頃そんな話をしょっちゅう聴いていたので、すっかり戦争を体験したような気になってしまったのかも知れません。 また長崎どころか九州にも行ったことはありません、小学校の時の修学旅行は鎌倉でした。ただ子供の頃地図を見るのが好きで、長崎は全く行ったことがありませんが、大体の地理的条件は想像出来ます。長崎は細い湾の奥にあって、その湾は山に囲まれています。私が逃げ込んだのはその湾を取り囲む山ということになります。「美しい風景」というのも多分小さい頃の私が、地図からイメージしたものなのでしょう。また「舞台」が長崎になったのは原爆との関係もあるでしょう。

