中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

 タレガといえば、昨年は没後100年ということで、おそらく世界中でその記念のイヴェントやコンサートがあったのではないかと思います。私も何かやろうかとは思ったのですが、もう一人、ギターでは重要な作曲家のアルベニスも同じ年に亡くなっていて、私としてはアルベニスの作品の方がこれまで演奏する機会が多かったので、そちらの記念コンサートを行いました。タレガに関するコンサートはギター文化館などでも他のギタリストが行う可能性も高いでしょうが、アルベニスの記念コンサート、特にアルベニスだけでコンサートを行う人はあまりいないのではと考え、「中村俊三アルベニスを弾く」ということで、アルベニスの没後100年のコンサートを行いました。


 しかし私がアルベニスのコンサートを行ったのは昨年の12月13日、タレガが亡くなったのは12月15日と、日にちからすれば当然タレガのコンサートを行わなければならない時期だったでしょう。因みにアルベニスは同年(1909年)の5月18日に亡くなっています。当日はアルベニスの曲の演奏の前に2曲だけタレガの曲を演奏しましたが、しかし近代ギターの父とも言われるタレガに十分な敬意を払えなかったことは否めません。その埋め合わせにならないかも知れませんが、ここでタレガの話をしておきたいと思います。



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タレガの二つの本

 前述のとおり昨年はタレガの没後100年というこもあって、現代ギター社では特集号(7月増刊号)を出したり、しばらく絶版になっていたエミリオ・プジョール著、浜田滋郎訳の「タレガの生涯」が改訂版となって復刻されました。また2005年にはドリアン・リウス著、手塚健旨訳の「フランシスコ・タレガ」が出版されています。


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 タレガの伝記といえば何といっても1960年に出された、タレガの晩年の弟子で、著名なギタリスト兼ギター研究家のエミリオ・プジョールの書いた、前述の「タレガの生涯」が有名です。リウスの著書もそのプジョールの著書を基に、さらに当時の新聞記事や書簡などで補完したものと言え、多少ニュアンスが違うとしても両者でタレガ像が異なるといったことはありません。



 ・・・・この本(プジョール)の著者まえがきに、「かの天才芸術家に寄せる、打ち震える讃仰と和やかな優しさに満ちた本『アンナ・マグダレーナ・バッハによる小年代記』を閉じたあと、私は長いこと瞑想にふけっていた(浜田訳)・・・・・」と書いてあります。もしかしたら「例の」偽マグダレーナの本のことでしょうか(当ブログ「本の薦め」参照)。とすればこの本(偽マグダレーナの)は、こうした大ギタリスト兼、音楽研究家をも感動させる、優れた著書かも・・・・・・



驕らず、 媚びず、 妬まず、 蔑まず、 拒まず

 プジョールの本を読んで、真っ先に感じたのは、そこに書かれているタレガは私たちが(私が?)これまで無意識に描いていたギタリストの理想像にぴったりとあてはまる、ということです。地位や、名誉、富には目もくれず、ただ、音楽とギターと、家族と弟子と、自らの周囲のすべての人を愛する。他人を攻撃することも、さげすむことも、媚びることも、拒むこともなく。タレガが抱くトーレスの名器からはなたれる音はあくまでも美しく、その演奏は聴く人に感動と幸せをもたらす・・・・・

 よく考えてみると、かつて私がギターを始め、ギターに熱中し、ギターの道に進んだのも、なんとなくこんなギタリストに憧れたからではないか。もちろん当時タレガのことは詳しく知りませんでしたが、若い頃、無意識に持っていたギタリスト、および音楽家、あるいは芸術家の理想像、「ギタリストたるものこうあってほしい」といったイメージに、ここに描かれているタレガは見事に合致しています。



音楽家は皆そうではないけれど

 タレガは生前からギタリストとしてたいへん高い評価を受けていました。幼少の頃は決して裕福な家庭で育ったわけではないので、そうした世間の高い評価を足掛かりに、地位や、富を求める行動に出ても何の不思議もないところですが、そうしたものを積極的に求めた形跡は認められません。

 優れた音楽家や芸術家が皆そううだったなどということはありません。それどころか私たちが知る大作曲のほとんどが社会的地位やお金には、結構執着していたようです。もっともそうした地位や富を求めることが優れた作品を生み出す原動力にもなっていたことも否定できないでしょう。



大ホールよりも

 コンサートはスペイン国内を中心にそれなりの頻度で行っていましたが、あまり好きではなかったようで、生活のためと考えていたようです。スペイン以外では隣国のフランス、イタリア、イギリスなどで若干コンサートを行っていました。アメリカ行きの話もありましたが、実現はしませんでした。

 タレガが最も気持ちの入る演奏は自宅や、小さなサロンなどで少人数の前で弾く時のようで、バロセロナなどの自宅ではタレガが家にいる時は毎晩のように、弟子や、友人、愛好者などを前に、にわかコンサートが始まったようです。勿論入場料などありません、それどころか「聴きたい」といえば知らない人でも家に入れてくれたようです。タレガの演奏はコンサートホールでのリサイタルなどより、こうした場での演奏のほうがずっとすばらしかったと言われています。



こんな手紙を書くタレガ

 レッスンもタレガにとって大きな収入源だったはずで、いろいろな弟子がいて、中には「内弟子」的にほぼ毎日タレガの家に来ていた弟子もいたようです。ただしその弟子たちがちゃんとレッスン料を払っていたかどうかは、定かでなく、支払われなかったことも多かったようです。タレガのほうからレッスン料を請求するなど、言及することもあまりなかったのかも知れません。タレガは弟子の母親からのレッスン料の送金の返事を、とても申し訳なさそうに書いています。この手紙にはタレガの性格がよく現れているように思いますので、引用しておきます。


 ホセ・マリア・ロブレド様

 親愛なる友
 
 25ペセタ同封された手紙を受け取ったにもかかわらず、返事が遅れて申し訳ありません。あなたの勤勉で優れた娘さんからレッスン代を受け取るなどということはたいへんな苦痛を覚えます。それは私にとって不本意なことですが、生活を支えるために悪戦苦闘している状態をお察し下さい。妻の病気がひどく、私自身動揺している有様です。数日前から私はコンサート活動しておりますが、それを終える6月末にパルマに出かける予定です。もうすぐ合えますね。ホセフィナはあせらず、根気よく練習すると、どこまでも上達します。ゆっくり練習することが上達の近道で、もしそれを怠ると、たとえ3世紀生きたとしても良い演奏を身に付けることは不可能です。芸術家の水平線はどこまでも続き、限りはありません。

 ・・・・・・・・ フランシスコ・タレガ

 
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