中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。


タレガ作「トレモロ」って?

 タレガのコンサート・プログラムの続きです。プログラムの後半の一曲目の、タレガ作「トレモロ」と題された曲は、「アルハンブラの想い出」や「夢」の可能性もありますが(2曲ともこの頃にはすでに作曲されていた)、「ゴットシャルクの大トレモロ」の可能性が高いと思われます。タレガの場合、こうしたトレモロ奏法の曲は「トレモロ」とか「トレモロ練習曲」、「演奏会用練習曲」といった曲名で演奏することが多かったようです。



パガニーニ主題による変奏曲

 「パガニーニ主題による変奏曲」は現在では「ベニスの謝肉祭」と呼ばれることが多い曲ですが、この曲も「グラン・ホタ」同様、タレガのコンサートでは必ずといってよいほど演奏された曲です(ごく稀にプログラム載らないことがあった)。このプログラムのように前半の最後が「グラン・ホタ」、後半の最後が「パガニーニの主題による変奏曲」というのが最も多いプログラム構成のようです。

 この曲は基本的に「グラン・ホタ」と同じ傾向の曲ですが、多少違いがあるとすれば「パガニーニ」のほうは一つ一つの変奏は長く、その代わり変奏の数は少ない(8~12程度)。「グラン・ホタ」のほうは短い変奏がたくさんある(30前後)、いったことでしょうか。またテーマは「グラン・ホタ」はスペイン人ならだれでも知っているメロディ、「パガニーニ」のほうはクラシック音楽を聴く人には有名な曲と言うことで、いろいろな人に受け入れられるように配慮しているのでしょう。

 タレガの死後(1910~1920年)にアリエール社から出された譜面には12の変奏がありますが、この譜面では、校訂者のセベリーノ・ガルシア・フォルテアとの共作となっていて、一部にフォルテアが作った変奏も含まれているのかも知れません。他にも何種類かの譜面が残されていると思いますが、この曲もタレガ自身は演奏の度にいろいろ変えていたのではと想像できます。



アルハンブラの想い出や、アラビア風奇想曲は弾かなかったの?

 ところで、このプログラムには、現在私たちがタレガの代表作と考えている「アルハンブラの想い出」や「アラビア風奇想曲」、あるいはギターを愛好する人にとってはたいへん馴染みの深い「ラグリマ」とか「アデーリータ」といった美しい小品の名が全く登場しません。

 「アルハンブラの想い出」については、前述のとおり「トレモロ」としてこのコンサートで演奏された可能性はあります。この曲は1899年に作曲されていますが、「アルハンブラの想い出」というタイトルは1907~8年頃に出版された時に付けられたものなので、少なくともタレガはこの曲を「アルハンブラの想い出」として演奏したことはなかったようです。この曲がタレガの代表作と考えられるようになったのも、やはり出版後、あるいは没後ではないかと思います。

 「アラビア風奇想曲」はその10年前の1889年頃の作曲で、1902年の出版の際にこのタイトルになっていますが、この2冊の本に記されているプログラムにはその「アラビア風奇想曲」という曲名は見つかりません。しかしタレガの最後の年(1909年)のプログラムに、タレガ作「セレナード」という曲があり、それが「アラビア風奇想曲」である可能性は高いと思います。



アラビア風奇想曲は当時でも有名

 プジョールが1902年に初めてタレガに合った時も、また女流ギタリストのホセフィーナ・ロブレド(後述)が12歳でタレガに出会った時も、二人ともタレガの前でこの曲を弾いています。したがって、この曲は出版される前からギター愛好者の間に広まっていたようで、この曲がタレガの代表作と考えられていたことは、当時も今も変わらないようです。



ラグリマやアデリータは?

 「ラグリマ」や「アデリータ」、「マリエッタ」など、私たちにはたいへん馴染みの深い小品は、おそらく基本的には愛好者や生徒たちへのエチュードとして考えていたようで、これらの曲がコンサートのプログラムに載ることはありませんでした。

 しかしタレガのコンサートは、当日になってから曲目の変更は多く、また「第3部」と言うべくアンコール曲も多かったようです。さらに店などに場所を移してからの「2次会」は本編よりも盛り上がったそうで、また自宅でも来客や弟子たち演奏をよく聴かせていましたから、そうした場でこれらの小品が演奏された可能性は十分あるでしょう。またこれらの曲をレッスンする時も、いろいろ言葉で話すよりも、実際に目の前で弾いて聴かせることが多かったと想像できます。生徒たちにとってはそれが一番嬉しいことだったかも知れません。



知名度を優先した

 前回載せたタレガのプログラムは、あくまで事前に知らせれたプログラムで、実際にこのとおりに演奏されたとは限りません。前述のとおり実際には何らかの変更が加えられた可能性が大きいようです。タレガは前もって決められた曲(といっても自分で決めた曲)を弾くのがあまり好きではなかったようなので、「とりあえず」無難な曲をプログラムに載せておいて、後はその時の気分(または体調)で変更するといったことをしていたのでしょう。また一般の人にもよく知られている曲をプログラムに載せていたとも考えられます。

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