中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

 前回までの話で、私はもともとはあまり人前でもアガったりするほうではなかったのですが、この仕事に就くようになってからステージでの緊張度も増し、普段弾けている曲が弾けなくなるなどの本格的な「アガリ」を感じるようになったことを書きました。また緊張するのはステージに上がったから、あるいは演奏会当日だけでなく、かなり前から緊張するようにもなり、当日は朝から飲食などがあまり出来なくなりました。


 しかし暗譜に時間をかけて完璧にすることにより、ステージでの演奏も、また精神状態もある程度安定させることが出来るようになりました。それというのも、この頃はアガったとしても指が震えるなど、指への影響はあまりなかったということが言えます。足が震えることがあっても指はあまり震えることはなく、仮にそうしたことがあっても不思議と演奏には差し障りありませんでした。本番直前は「今日は本当に弾けるのだろうか」と不安になっても、演奏を始めると、少なくとも指の方は問題なく普段どおりにコントロール出来ました。



状況が変ってきた

 体というものは年齢とともに変化してゆくものなのでしょう、40代半ばくらいから若干様子が変ってきました。次第に指に影響がくるようになったのです。若い頃はレッスン室などでの少人数でのリハーサル的な演奏では、ほとんど、緊張したりすることはなかったのですが、この頃になるとそうした場でも、あるいはそうした場だからこそ指が震えるなどして、弦が上手くつかめなくなったりするようになりました。



負の連鎖

 そいうことが一度起きると「負の連鎖」というやつで、「弦がつかめなくなるのでは」と思うと、本当にそうなってしまいます。ある程度長い時間のステージなどで弾く場合でしたら、時間の進行と共に段々と通常の状態に戻ってゆくのですが、演奏を始めてから10~20分くらいはコントロールの出来ない状態が続いてしまいます。



そんなに練習すると弾けなくなるよ

 その頃合奏で曲の冒頭にやや複雑なアルペジオがあって、それは私が弾くことになっていました。複雑といっても練習で弾く分には全く問題のないものですが、しかしステージではこれが全く弾けなくなり、2回くらい演奏したと思いますが、2回ともその箇所が全然弾ませんでした。私が何度もその部分を練習していると、創に「お父さん、そんなに練習すると余計弾けなくなるよ」と言われた記憶もあります。



オクターブ・ハーモニックスが弾けなくなる

 またオクターブ・ハーモニックス(右手のみで行なうハーモニックス奏法)もステージでは上手く出来なくなり、当時練習していたリョベート編の「エル・メストロ」の3音のオクターブ・ハーモニックスも、ステージでは弾くことが出来なくなり、音を減らしたり、通常の弾き方にせざるを得ませんでした。もちろん練習の時には全く問題のないものです。



これはもう立派なアガリビト!

 この時期が私の最も不調の時期だったかも知れませんが、普段弾けているものがステージでは“全く”弾けなくなるという、これはもう立派な「アガリ性」以外の何ものでもないでしょう。そうなると当然のごとく演奏することをなるべく避けるようになります。もっともその頃私があまり演奏をしなくなったのは、もう一つの理由があります。



演奏しなくなったもう一つの理由

 5歳からギターをやっていた長男の創(はじめ)は、その頃にはコンクールなどで入賞するなど活躍が目立ってきました。実力もあっという間に追い抜かされるどころか、私のはるか彼方にいってしまいました。中学3年生では受験もあってあまり練習もせず(1日やっと1時間)、試しに出場したクラシカル・ギター・コンクールでいきなり優勝してしまいます。



運転手兼マネージャー

 創の関係で当時いろいろなギター関係者とお会いする機会も多くなりましたが、どこに言っても「創君のお父さん」と呼ばれるようになり、私自身でも「中村創の父親です」と名乗っていました。また創のことは地方紙でも紹介されたこともあって、地元でも私よりも創の方を知る人の方が多くなってきました。

 当然のごとくコンサートや、演奏を依頼されるのは私ではなく創の方で、私といえば創の運転手兼マネージャーというところでした。たまに“オマケ”として「よければお父さんも・・・・」と創と一緒に演奏することがあった程度です。




   ブログ

1997年、NTT水戸店でのコンサート。これも創との”バーター”。
この時創は入試直後で、どちらかと言えば私の独奏の方が多かったが、評判イマイチ。




気分は引退

 創が演奏を積極的にしていた数年間は、教室の発表会とか、創との“バーター”で出演するコンサートなどを除いて、私はほとんど演奏をしていませんでした。少なくとも自分で積極的にコンサートを企画して行うことはなく、それまで2~3年おきには行なっていたリサイタルもこの時期には全く行なわず、自分自身でも演奏は創にまかせて自分は指導に専念し、「演奏は引退した」と考えるようなりました。たまに演奏を依頼されることがあっても断ったりしていました。

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