中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

セゴヴィア2度目の来日は1959年

 セゴヴィアの2度目の来日は、初来日から戦争を挟んでの30年後、1959年(昭和34年)となります。この時代ともなると日本のクラシック・ギター界のレヴェルも徐々に上がってきます。現在の東京国際ギター・コンクールの前身となる、日本ギター連盟主催のギター・コンクールもすでに始まり、阿部保夫、大沢一仁、中林淳真といったその後の日本のギター界を担う人たちを輩出するようになります。

 当時の歌謡曲などに積極的にギターが用いられ、日本の映画では、なぜかヒーローたちの背中にギターが登場します。もちろん映画「禁じられた遊び」の影響でギターを始めた人もいたでしょう。このように昭和30年代頃からギターに興味を持つ人も次第に増え、街の楽器店にもクラシック・ギターが並ぶようになります。いわばギター・ブーム前夜といったところでしょうか。


セゴヴィア66歳、普通のギタリストなら晩年だが

 この年(1959年)セゴヴィアは66歳。年齢だけ考えればギタリストとしての活動の晩年にあたると言えますが、しかし私たちはこの時代こそセゴヴィアの絶頂期であることをよく知っています。LPやCDで知っている、わたしたちになじみの深いセゴヴィアの演奏はほとんどこの時期、この来日の10年前から10年後の20年間に録音されています。

 この時期のセゴヴィアは、音楽的にはもちろん、技術的にもますます磨きのかかった頃といえるでしょう。セゴヴィアに関して”晩年”と言う言葉が使えるようになるには、まだ20年ほど年月が必要です。


ギター界を越えた1大イヴェント

 この来日は、の本でのギター熱の高まりと、セゴヴィアの円熟期が重なった、たいへん幸運な出来事だったとも言えるでしょう。この時、セゴヴィアは35日間の日本滞在で、協奏曲を含め、たいへん精力的に11回のコンサートを行いました。当時皇太子だった現天皇陛下もご臨席されたとのことで、ギター界を越えた音楽界の1大イヴェントだったのでしょう。当時の様子が書かれた文章を読むと、関係者の興奮ぶりが伝わってくるようです。


そんなことはつゆ知らず・・・・・

 私といえば、この年8歳、小学3年生ということになります。もちろん当時偉大なギタリストが来日していることなど知る由もありません。私がセゴヴィアの名前を知るようになるだけでも、まだ10年ほどかかります。ギターはほんの少し、「ミ、レ、ド」だけ弾けたかも知れません。



3度目の来日(1980年)

 次の来日(3度目)となるのが1980年。この年には私は29歳、まがりなりにもすでにこの仕事に就いており、生徒さん10名ほどと新宿文化センターに聴きにゆきました。これが世紀のギタリスト、アンドレス・セゴヴィアを聴いた最初で最後の機会です。

 セゴヴィア3度目の来日の話を聴いた時には、とても驚きました。この時セゴヴィアはすでに80歳を越えており、演奏活動はある程度行っているとはいえ、もう日本まで来てリサイタルを行うことはないだろうと思っていたからです。その時点では、アンドレス・セゴヴィアはあくまでレコード上でのギタリストと思い込んでいました。



新宿文化センターでのリサイタル(7月17日)

 80年の来日では計5回のコンサートと、さすがに演奏回数は前回に比べて少なくなりました。私はこのうち、7月17日の新宿文化センターでのリサイタルを聴きました。新宿文化センターは1000人以上は入る、ギターのコンサートではちょっと大きすぎる感じでした。



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感動的な拍手、でも音は遠い

 セゴヴィアがステージに現れると客席からはもの凄い拍手が沸いたのを記憶しています。その拍手は巨匠セゴヴィアへの敬意であるとともに、ギター史の現場に立ち会うことの出来るという感激も表していたのでしょう。

 演奏が始まると、会場の関係か、見た目以上にギターの音が遠く感じます。セゴヴィアの演奏を小さなホールで聴きたいなどということは贅沢すぎることなのでしょう。LPなどで聴くダイナミックなセゴヴィアの音は、ここでは聴くことは出来ませんでした。


若干の不安はよぎるが、セゴヴィア・トーンは健在

 巨匠セゴヴィアとはいえ、何分この年齢(87歳)のギタリストのリサイタルを聴くことなどありえないことなので、誰しも若干の不安はよぎるところでしょうが、演奏全体としてはかなり落ち着いた感じでした。これも会場の関係かも知れませんが、細かい音形など多少不明瞭になる部分はあっても、主旋律はさすがによく歌っている感じでした。また「セゴヴィア・トーン」と呼ばれる美しい音も十分に味わうことが出来ました。

 はやりハイドンのメヌエットはいい、セゴヴィアもお気に入りの曲なのだろう。「南のソナチネ」の第2楽章は、はやり「ソナタ第3番」のものを使っている、こちらの方がしっくりくるのだろう。セビーリャは最近になってアレンジを変えたのかな? さすがに若い頃の勢いは影を潜めているが、メロディはセゴヴィアらしく歌っている・・・・・



一つの時代が終わった?

 その後のコンサート評などを読むと、多くの絶賛調のコメントの中に、若干ではありますが、「残念なことに、瞬間の美しさ、変化の精妙さに魅せられても、音楽全体としては、活気ある表情に乏しく、強い緊張感が生まれてこない・・・・・・・」 あるいは「セゴヴィアのまねをするのは非常に危険なのです・・・・・一つの時代が確実に終わったのです」などと、ちょっと微妙な表現も見られます。

 はやり時代は変ったのでしょう、この時代には、セゴヴィアは確かに偉大なギタリストではあるが、あくまで前時代のギタリスト、といった位置付けに変ってきたようです。時代はジュリアン・ブリーム、ジョン・ウィリアムス、そしてバルエコ、セルシェルが台頭し、アサド兄弟も話題にのぼりはじめ、さらに山下和仁、福田進一・・・・・・・



93歳まで演奏活動

 セゴヴィアはさらにその2年後に4度目の来日をしますが、私はこの時は聴けませんでした。セゴヴィアは亡くなる前年、つまり93歳となる1986年までステージに立っており、亡くなる当日の朝もギターを弾いていたそうです。セゴヴィアの偉大さの一つとして、この活動期間の異例の長さがあると思います。このことだけをとってもまさに前代未聞、合掌!



 
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