中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

明後日リサイタル


自分を投影?

 前回の記事では、バッハのリュートに対する思いや、当時のリュートの状況などを、バッハの周辺にいたかもしれない、架空のリュート弾き(どちらかと言えば、ちょっとイマイチの)になりきって書いてみたのですが、いつの間にかに自分を投影してしまったかも知れませんね、ちょっとワルノリかな。因みに話し相手は相棒のガンバ弾きです。



ハイドン、モーツァルトの時代は目の前

 最近ではスマホやケータイなど通信機器ではめまぐるしい変化をしていますが、音楽に関してはバッハの時代のほうが時代の移り変りは速かったようです。それまでたいへん重要な楽器であったリュートもバッハの時代、すなわち18世紀初頭にはその黄昏時を迎えることになります。

 バッハは自分ではあまり弾けたとは思えないこの古の楽器、リュートには深い関心があったわけですが、リュートだけでなく、バッハが特に力を入れて作曲していたフーガなどの厳格な対位法の音楽も次第に廃れてゆく時代となり、誰でも簡単に親しめるような音楽が求められるようになってゆきます。ハイドンやモーツァルトの時代はもう目の前です。



好奇心の強かった人

 このように書くと、バッハはとても後ろ向きの作曲家のように思われがちですが、バッハはとても好奇心の強い人だったようで、さまざまなことに関心を向けていたようです。当時出来たばかりのピアノ・フォルテにも強い関心を持っていましたし、他の音楽家の作品(ヴィヴァルディなど)にも深い関心を持っていました。



コヒー・カンタータまで作曲してしまった

 また音楽以外の一般教養も一通り身に付け、務めていた学校では神学も教えていたようです。バッハの作曲の仕方からすると自然科学などにも精通していたのではないかとも想像できます。また当時流行り出したコーヒーにもはまり、それが嵩じてユーモアたっぷりの「コヒー・カンタータ」なる曲まで作曲しています。バッハとて肖像画で見るようなしかめ面を常にしていたわけではなさそうです。



100年以上の深い眠りに

 リュートに関して言えば、架空のリューティストが嘆いたように、18世紀末ころまでには廃れてしまい、19世紀に入ると人々から完全に忘れされれてしまいます。もちろんそのリューティストの息子たちも別の楽器に持ち替えたか、あるいは別の職業に就いたことでしょう。

 リュートの弦が人々の前で再び鳴らされるようになるには20世紀を待たなければならず、100年以上にわたって深い眠りにつくことになります。リューテストにとってはたいへん便利だったリュート用のタブラチュアも、読める人がいなくなり、「まるでタブラチュアのよう」とはわけのわからない文字や文章を例える言葉となってゆきました・・・・・



暖かい支度を

 明後日はギター文化館で私のリサイタルということですが、当日の会場はちょっと寒いかも知れませんので、いらっしゃる方はなるべく暖かい支度をしてきて下さい。なお前日(7日)までにご連絡いただいた方は予約ということで、前売り扱いさせていただきます。気の向いた方はご連絡下さい。


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