クラシック・ギター名曲ランキング
<第15位> ハンガリー幻想曲(ヨハン・カスパル・メルツ)
谷間の世代?
ヨハン・カスパル・メルツ(1806~1856)はナポレオン・コストと並ぶ、19世紀半ばを代表するギタリストですが、かつて、この19世紀半ば頃は”ギターの暗黒時代”などと呼ばれ、その活動や作品を評価されなかった時代もありました。ソルやジュリアーニが活躍した19世紀前半と、タレガの出現によってギターの復興期とされた19世紀末のはざまにあって、暗黒時代は言い過ぎにしても、”谷間の世代”といった印象は、一般的にあったと思います。
この世代、つまり1830~1880年頃のギタリストとしては、メルツ、コストの他、アグアード、ブロカ、レゴンディ、フェレール、アルカスなどが挙げられます。
かつてはあまり演奏されなかった
これらのギタリストの作品がコンサートのプログラムに頻繁にのぼるようになったのは、私の記憶では1980年代になってからだと思います。それまでもコストやメルツの作品は演奏されることはあったにせよ、そのほとんどが教育的作品、またはそれに近い作品で、コンサート用の大曲などはあまり演奏されることはありませんでした。
もちろん、今現在ではメルツ、コスト、レゴンディなどの作品は、ギターのコンサートやCDに欠くことの出来ない重要なものとなっています。
ギタリストの作品の復権
かつてこうした作品があまり演奏されなかった要因として、20世紀半ば頃は、ギタリストが作曲した作品よりも、”ギターを演奏しない作曲家”つまりトゥリーナ、ポンセ、テデスコ、ロドリーゴ、ヴィラ=ロボスなどの”専業作曲家”の作品の方が高く評価されていたということもあると思います(ヴィラ=ロボスは多少ギターを弾いたが)。
そういった意味では、最近の傾向として、19世紀半ばのギター音楽の復権とともに、ギタリストの作品の復権もあるようです。確かに最近の新しい人気曲としてはブローウェル、ディアンス、ヨーク、クレンジャンス、のどギタリストの作品が多くなっています。再びギターらしさが求められる時代となったのでしょうか。
メルツの演奏会用作品は多弦ギター(7弦以上の)用に書かれている
さて、この「ハンガリー幻想曲」はメルツの作品の中では超有名曲で、この曲のみは20世紀半ば頃から演奏されてきました。この曲の作曲年代や出版年代などはわかりませんが、10弦ギター、つまり通常の弦の他に、⑥弦の「ミ」から「レ」、「ド」、「シ」、「ラ」と1音ずつ下がるように低音が付いています。
メルツは、入門的な作品、あるいは教育的な作品を除いては、ほとんどこの多弦ギターのために書かれているようで、コストの場合も同じようです。
当時のフランスではこうした7弦以上のギターが普及していたようですが、スペインではこうしたギターはあまり浸透せず、その後タレガなどのスペインのギターが世界的に主流となったので、現在では”ギターの弦は6本”が常識となったわけです。

メルツではなく、ナポレオン・コストの写真(メルツの写真がなかったので)。画像があまりクリアーでないので弦の本数が正確には数えられないが、通常の6弦の他に、8弦、11弦を使用していたようだ。おそらくメルツも同じだったと思われる。
残しておけば・・・・
こうしたメルツの作品を通常の6弦ギターで聴いた場合と、オリジナルどおりの多弦ギターで聴いた場合とでは、やはりおりじなる通りの方が深い響きがします。私もかつて10弦ギターを2本所有していたので、こんな時には売却せずに残しておけばよかったなと思います。
もしメルツ、コスト流のギターが主流となっていたら
もし20世紀において、タレガやソルではなく、コストやメルツ流のギターが主流となっていたら、”ギターの弦は10本”が主流になっていたかもしれませんね。 え? よかった、そうならなくて? もしそうなっていたら弦代が今の2倍かかる? ・・・・ごもっとも。 ・・・・いや、10弦用の低音弦は結構高いので、2倍ではなく、3倍以上かかります。
チゴイネルワイゼンと同じ路線
「ハンガリー幻想曲」の話に戻りますが、この曲は3つの部分に分かれ、マエストーソ(イ短調)、アダージョ・マエストーソ(イ長調-ヘ長調)、アレグロ・ヴィヴァーチェ(イ長調)となっています。ハンガリー風というよりはジプシー風で、ヴァイオリン曲として有名な「チゴイネルワイゼン」などと同じ系統の曲と考えられます。
19世紀的な表現法を身に付ける必要がある
山場、つまり聴かせどころとしては最後のチャルダッシュという舞曲で書かれた「アレゴロ・ヴィヴァーチェ」なのでしょうが、しかし演奏の良し悪しはその前の部分でかなり決まると思います。この部分をいかに幻想的かつヴィルトーゾ的に弾けるかということが最も重要でしょう。そのためには19世紀的な表現法といったものも身に着ける必要があるでしょう。

デビット・ラッセル(1986~7年)
デビット・ラッセル、 福田進一
前述のとおり、メルツの作品の中でもこの曲は少なくとも1960年代からよく演奏されていましたので、LP時代から録音はあったと思いますが、私個人的には1986~7年に録音されたデビット・ラッセル、1994年の福田進一氏の録音に強い印象をもっています。

福田進一(1994年)
<第15位> ハンガリー幻想曲(ヨハン・カスパル・メルツ)
谷間の世代?
ヨハン・カスパル・メルツ(1806~1856)はナポレオン・コストと並ぶ、19世紀半ばを代表するギタリストですが、かつて、この19世紀半ば頃は”ギターの暗黒時代”などと呼ばれ、その活動や作品を評価されなかった時代もありました。ソルやジュリアーニが活躍した19世紀前半と、タレガの出現によってギターの復興期とされた19世紀末のはざまにあって、暗黒時代は言い過ぎにしても、”谷間の世代”といった印象は、一般的にあったと思います。
この世代、つまり1830~1880年頃のギタリストとしては、メルツ、コストの他、アグアード、ブロカ、レゴンディ、フェレール、アルカスなどが挙げられます。
かつてはあまり演奏されなかった
これらのギタリストの作品がコンサートのプログラムに頻繁にのぼるようになったのは、私の記憶では1980年代になってからだと思います。それまでもコストやメルツの作品は演奏されることはあったにせよ、そのほとんどが教育的作品、またはそれに近い作品で、コンサート用の大曲などはあまり演奏されることはありませんでした。
もちろん、今現在ではメルツ、コスト、レゴンディなどの作品は、ギターのコンサートやCDに欠くことの出来ない重要なものとなっています。
ギタリストの作品の復権
かつてこうした作品があまり演奏されなかった要因として、20世紀半ば頃は、ギタリストが作曲した作品よりも、”ギターを演奏しない作曲家”つまりトゥリーナ、ポンセ、テデスコ、ロドリーゴ、ヴィラ=ロボスなどの”専業作曲家”の作品の方が高く評価されていたということもあると思います(ヴィラ=ロボスは多少ギターを弾いたが)。
そういった意味では、最近の傾向として、19世紀半ばのギター音楽の復権とともに、ギタリストの作品の復権もあるようです。確かに最近の新しい人気曲としてはブローウェル、ディアンス、ヨーク、クレンジャンス、のどギタリストの作品が多くなっています。再びギターらしさが求められる時代となったのでしょうか。
メルツの演奏会用作品は多弦ギター(7弦以上の)用に書かれている
さて、この「ハンガリー幻想曲」はメルツの作品の中では超有名曲で、この曲のみは20世紀半ば頃から演奏されてきました。この曲の作曲年代や出版年代などはわかりませんが、10弦ギター、つまり通常の弦の他に、⑥弦の「ミ」から「レ」、「ド」、「シ」、「ラ」と1音ずつ下がるように低音が付いています。
メルツは、入門的な作品、あるいは教育的な作品を除いては、ほとんどこの多弦ギターのために書かれているようで、コストの場合も同じようです。
当時のフランスではこうした7弦以上のギターが普及していたようですが、スペインではこうしたギターはあまり浸透せず、その後タレガなどのスペインのギターが世界的に主流となったので、現在では”ギターの弦は6本”が常識となったわけです。

メルツではなく、ナポレオン・コストの写真(メルツの写真がなかったので)。画像があまりクリアーでないので弦の本数が正確には数えられないが、通常の6弦の他に、8弦、11弦を使用していたようだ。おそらくメルツも同じだったと思われる。
残しておけば・・・・
こうしたメルツの作品を通常の6弦ギターで聴いた場合と、オリジナルどおりの多弦ギターで聴いた場合とでは、やはりおりじなる通りの方が深い響きがします。私もかつて10弦ギターを2本所有していたので、こんな時には売却せずに残しておけばよかったなと思います。
もしメルツ、コスト流のギターが主流となっていたら
もし20世紀において、タレガやソルではなく、コストやメルツ流のギターが主流となっていたら、”ギターの弦は10本”が主流になっていたかもしれませんね。 え? よかった、そうならなくて? もしそうなっていたら弦代が今の2倍かかる? ・・・・ごもっとも。 ・・・・いや、10弦用の低音弦は結構高いので、2倍ではなく、3倍以上かかります。
チゴイネルワイゼンと同じ路線
「ハンガリー幻想曲」の話に戻りますが、この曲は3つの部分に分かれ、マエストーソ(イ短調)、アダージョ・マエストーソ(イ長調-ヘ長調)、アレグロ・ヴィヴァーチェ(イ長調)となっています。ハンガリー風というよりはジプシー風で、ヴァイオリン曲として有名な「チゴイネルワイゼン」などと同じ系統の曲と考えられます。
19世紀的な表現法を身に付ける必要がある
山場、つまり聴かせどころとしては最後のチャルダッシュという舞曲で書かれた「アレゴロ・ヴィヴァーチェ」なのでしょうが、しかし演奏の良し悪しはその前の部分でかなり決まると思います。この部分をいかに幻想的かつヴィルトーゾ的に弾けるかということが最も重要でしょう。そのためには19世紀的な表現法といったものも身に着ける必要があるでしょう。

デビット・ラッセル(1986~7年)
デビット・ラッセル、 福田進一
前述のとおり、メルツの作品の中でもこの曲は少なくとも1960年代からよく演奏されていましたので、LP時代から録音はあったと思いますが、私個人的には1986~7年に録音されたデビット・ラッセル、1994年の福田進一氏の録音に強い印象をもっています。

福田進一(1994年)
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