中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

プログラムの作り方 8

<アンドレス・セゴヴィアのプログラム>



1. A) ソナティナ     ・・・・・・・・・・・・・・  ジュリアニ
   B) 主題による變奏曲 ・・・・・・・・・・・・・  ソール 
   C) 組曲キャステラナ
        (セゴヴィアの為に作曲) ・・・・・・・トルロバ  
     (イ) プレリュウド
     (ロ) アラダ
     (ハ) ブウレスク
   D) エボケイション   ・・・・・・・・・・・・・・・・ タレガ

2. A) プレリュウディオ
   B) アレマンデ
   C) サラバンド
   D) クウランテ
   E) ガボッテ      ・・・・・・・・・・ 以上 J.S.バッハ
   
   F) グラシュウス   ・・・・・・・・・・ チャイコフスキー

 
     《  休  憩  》

3. A) セヴィラナ(セゴヴィアの為に作曲) ・・・・・・ テュリナ
   B) ト調ダンツァ   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ グラナドス
   C) カディス
   D) セレナータ
   E) セヴィラ  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上 アルベニス


      1929年11月20日   大阪 朝日会館



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1920~1930年代のアンドレス・セゴヴィア



セゴヴィアの初来日、実質デビューから13年のプログラム

 上のプログラムはセゴヴィアの初来日、つまり1929年の大阪でのリサイタルのプログラムです。 以前にもこのリサイタルの話は書きましたが、プログラム構成と言った点でもう一度検証してみようと思います。

 アンドレス・セゴヴィアは1893年の生まれで、1908年、セゴヴィア15歳の時に演奏活動を始めました。 しかし、しばらくの間は特に高い評価も得られず、いわば”鳴かず飛ばず”の状態だったようです。 1915年にバルセロナのリョベットのところに行ったのをきっかけに翌年からスペイン全土で演奏活動をするようになり、高い評価を受けるようになりました。 それがおそらくセゴヴィアの実質的なプロ・デビューとなるのでしょう。

 そのデビューから13年後の1929年に日本公演を行った訳ですが、もちろんこの時にはセゴヴィアは世界を代表するギタリストの地位をゆるぎないものにしていました。 そして、まだ音楽的には未開の地だった日本で演奏を行うなど、セゴヴィアは積極的に演奏活動を行っていました。




当時のまま書き出した

 デビュー当時のリサイタルのプログラムの詳細などはわかりませんが、比較的早い時期のプログラムとして1929年の初来日時のプログラムを挙げておきました。

 上のプログラムは当日配られたと思われるものを、なるべく当時のまま記したものです。 もちろん今現在の曲目表記とは異なりますが、当時の雰囲気が感じられるので、なるべく当時のまま記しました。 カタカナ表記などもちょっと変な感じはしますが、意外と原語の発音に近いものもあります。




<オリジナル> <編曲> <スペイン> の三部構成

 全体は三部構成となっていますが、休憩は一回なので二部構成的だったのでしょう。 それでも3部構成のプログラムとしているのは、第1部はギターのオリジナルlの作品、 第2部は編曲作品、 第3部はスペイン音楽としているからなのでしょう。

 セゴヴィアのプログラムはほとんどの場合、時代順に作品を並べるのですが、このプログラムではそうはなっていません。 たまたまこのリサイタルの時だけそうだったのかどうかはわかりませんが、少なくとも1930年代以降はほとんど時代順に作品を並べています。

 しかしその代わりにはっきりと3つのグループに分け演奏するなど、このプログラムでもはっきりとしたコンセプトがあるのが特徴です。



第一部は古典とモレーノ・トロバの新作にアランブラ

 最初のジュリアニの「ソナティナ」はどのソナチネなんでしょうか、「ニ長調作品71-3」 などが考えられますが、セゴヴィアの場合、4楽章全曲演奏することはあまりないので、その中の一つの楽章でしょうか、あるいは全く別の作品でしょうか。  ソールの「主題と變奏」は「モーツァルトの『魔笛』の主題による変奏曲」と考えてよいでしょう。

 「キャスラナ組曲」 は現在では 「カスティーリャ組曲(ファンダンゴ、アラーダ、ダンサ)」と表記されますが、この当時まだ本当に作曲されたばかりで、超現代音楽と言ったところでしょう。 「エボケイション」は「アランブラの想い出」と考えられます。



バッハは一つの組曲からではない

 バッハの作品についてははっきりとどの曲かわかりませんが、少なくとも一つの組曲からではないでしょう。 その当時のSP録音などから推測すると、「プレリュウディオ」 は「リュートのための小プレリュード」か「チェロ組曲第1番」のプレリュード。 

 「アルマンデ」は「リュート組曲第1番」より、 「サラバンド」も同じリュート組曲第1番、もしくは無伴奏バイオリン・パルティータ第1番ロ短調」。 「クウランテ」は無伴奏チェロ組曲第3番。 「ガボッテ」 は「無伴奏バイオリンパルティータ第3番」、 あるいは「無伴奏チェロ組曲第6番」からと考えられます。

 チャイコフスキーの「グラシュウス」はよくわかりませんが、「喜び」といったような意味なんでしょうか。




セゴヴィアはほとんどの場合、スペインものを最後にしている

 プログラムの最後はスペイン音楽で閉めていますが、これはセゴヴィアが終生行ってきたことで、その後多くのギタリストがそれを踏襲しています(私もそうしていることが多い)。



「カディス」はその後あまり演奏していない

 「セヴィラナ」はトゥリーナの「セビーリャ幻想曲」ですが、これも作曲されたばかりだったでしょう。 「ト調ダンツア」はスペイン舞曲第10番」と考えられます。 アルベニスの「カディス」が演奏されたようですが、セゴヴィアはこの曲の録音を残していません。 ニ長調のタレガ編を使用したのでしょうか。

 アルベニスの「セレナータ」はどの曲だったのでしょうか、タレガの場合は「グラナダ」、あるいは「カディス」だったのですが、やはり「グラナダ」の可能性が強いでしょう。 あるいは「朱色の塔」かも知れません。 「セヴィラ」でリサイタルを閉めるのも、セゴヴィアが終生行ってきたことです。 この頃はまだ「アストゥリアス」は弾いていなかったかも知れません。



タレガのリサイタルからまだ30年ほどしか経っていないが

 このセゴヴィアのリサイタルは前回のタレガのリサイタルから30年弱ということになりますが、 ずいぶんプログラムの組み方が違っているのがわかると思います。 タレガの場合は”今、まさに目の前にいる聴衆をいかに楽しませるかということに主眼を置いてプログラムを作っています。



評論家やジャーナリストを意識している

 もちろんセゴヴィアにしても目の前にしている多くの聴衆を喜ばせることは大事なのですが、プログラムの構成などを見ると決してそれだけを考えてリサイタルを行っている訳ではないように思えます。

 セゴヴィアにとって演奏の対象は音楽をより深く聴き取る専門家であったり、またジャーナリストであったりもするのではないかと思います。 つまりセゴヴィアは目の前の聴衆を満足させるとともに、後日ジャーナリズムにより、どのように紹介され、評価されるかというこを意識したのではないかと思います。



単なるエンターティメントではない方向に向かっている

 タレガとセゴヴィアのプログラム構成に違いは、もちろんそのギタリストの個性の違いということもありますが、時代の流れといったものも大きいでしょう。 当時の(クラシック)音楽界全体が、徐々にエンターティメント性以外のものを指向してゆくようになり、 クラシックのコンサートは、より ”クラシック音楽” らしいコンサートになってくるわけです。

 ちょうどそんな時代にアンドレス・セゴヴィアが登場したわけで、今日のギターリサイタルのプログラムの原型はセゴヴィアが作ったわけではないとしても、この時代につくられたのは確かでしょう。
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