中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

プログラムの作り方 11


<ジョン・ウィリアムスのリサイタル>


ヴァイス : 組曲第11番
バッハ : シャコンヌ
スカルラッティ : 4つのソナタ

・・・・・・・・・・・・・

トゥリーナ : ファンダンギーリョ
モレーノ・トロバ : ノットルノ、 マドローニョス
ドッジソン : ファンタジー、 ディヴィジョンズ
アルベニス : コルドバ、 セビーリャ

  1971年9月27日  東京虎の門ホール




突然のイメチェン

 ジョン・ウィリアムス、2回目(たぶん)の来日時のプログラムです。 ウィリアムスは1941年生まれですが、20代、つまり1960年代では見た目も銀行マンのようで、どちらかといえば、大人しく、清楚な演奏が売りだったのですが、70年代になってから突然ファッションも変わり、LPで聴く限りでは、演奏ぶりも力強く、華麗なものになりました。

 そんな”変身”時の時の来日で、いろいろな意味でセンセーショナルなものでした。 私は当時大学生でギター漬けの毎日を送っていましたが、まだあまりいろいろなギタリストのリサイタルは聴いていなかった頃で、このウィリアムスの演奏は、やはり衝撃的な印象でした。




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クラシック・ギタリストとは思えないファッションのウィリアムス(30歳前後)



たいへん美しい音

 まず、何といってもたいへん美しい音で、当時ウィリアムスはアグアードを使用していたと思いますが、透明感のあるとても美しい響きで、こんなに美しいギターの音は、それまで聴いたことのないものでした。 会場は決して小さなところではありませんでしたが、よく通る音で、全く不足は感じませんでした。

 
 
見た目はロック・ミュージシャンだが
 
  さて、プログラム構成の方ですが、上記のとおり前半はバロック、後半はスペイン音楽(ドッジソンはイギリス人)を中心としたもので、ロック・ミュージシャンかた見まごうファッションながら、プログラムの内容はセゴヴィアなどの伝統的なものを踏襲したものと言えます。 



いつかはこんなプログラムでリサイタルをやってみたい

 基本は伝統的なプログラムですが、内容はかなりすっきりとしたものになっていて、センスの良さが窺われます。 当時はまだギター・リサイタルのことなどよくわかりませんでしたが、 なんとなく 「かっこいいプログラムだな」 と感じました。

 当時の私は、まだまだこんなプログラムは演奏出来ませんでしたが、いずれはこんなプログラムでリサイタルをしたいなと思いました。 まさにあこがれのプログラムと言った感じです。 



最初から全開のギタリスト

 最初の「ヴァイスの組曲」はどんな曲だったかあまり覚えていません。 「組曲」とされていますが、実際は「ソナタ」と題されているようで、確か当時は20数曲ほどしか知られていなかったようです。 現在は5~60曲くらいあると言われていて、ナクソス・レーヴェルで、ロバート・バートが全曲録音を実行中です(現在Vol.11)。

 この曲は”指ならし”的に弾くにしては決して易しい曲ではありませんが、ウィリアムスはセゴヴィアのように徐々に調子を上げてゆくと言うより、最初から全開で弾けるギタリストのようです。  



透明で美しいシャコンヌ、とても幸せな気持ちになれた

 バッハの「シャコンヌ」は、厳粛で力強い曲ですが、とても透明感のある美しい演奏でした。 後半のスペインものにはさらに躍動感も加わり、聴いていて、とても幸せな気持ちになれたリサイタルでした。 その後の私にいろいろな意味で強い影響を与えたのはもちろんです。



1995年はアンプ使用

 1995年の24年ぶりに来日時の東京文化会館でのリサイタルも聴きに行きました。 ウィリアムスは1970年代からリサイタルでアンプを使用するようになりますが、この時もアンプ使用による演奏でした。

 アンコールの際、客席からの 「1曲でいいからアンプなしで演奏もらえませんか」 という声がありましたが(流暢な英語で)、「ギターの音は小さいから」と(たぶん)、 結局最後までアンプを通しての演奏となり、最後までウィリアムスの生音を聴くことはできませんでした。




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1990年代のウィリアムス。 この頃にはウィリアムスの生音はなかなか聴けなくなった。



まるでCDを聴いているよう

 この時のリサイタルは、前半がアルベニスなどのスペインもの、後半がバリオスといったものでした。 セゴヴィアの場合は、サイタルの最後で演奏されることの多かったアルベニスの「朱色の塔」を、リサイタルの冒頭に演奏し、しかも、技術的には全く完璧でした。 ウィリアムスにはステージで緊張するなどという感覚はないのでしょう。

 アンプ使用のおかげで音は大変良く聴こえ、また技術も完璧なので、コンサート会場にいながらまるでCDを聴いているよう・・・・・ 1995年のリサイタルの印象はそんな感じでした。 しかし実を言うとこの時のリサイタルは1971年のものほど記憶がありません。 ついついCDを聴いているようで、途中から若干集中力をなくしてしまったのかも知れません。



やはり生に限る?

 ウィリアムスは、元々微妙なニュアンスの変化や表現で演奏するといったタイプではないのですが、 アンプを通すとさらに音楽が硬直するようにも思えます。   やはりクラシック・ギターのリサイタルは”生”に限りますね  ・・・・・例えどんなに音が小さくても・・・・

 
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