中村俊三 ブログ

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<バッハ・シャコンヌ再考 11   バッハの変奏曲 3  ゴルトベルク変奏曲>



この曲についてはあまり語れないが

 バッハの変奏曲といえば、これまで話したチャコーナやパッサカリアよりも、まずは何といっても、この鍵盤のための長大な変奏曲である 「ゴルトベルク変奏曲」 に触れなければならないでしょう。  しかしこの曲はあまりにも大きすぎて、私にはとても語ることなど出来ません。



32×32小節

 そのようなわけで、まずは一般の曲目解説にあるようなことを書いておきましょう。  

 ・・・・・この曲はバッハが晩年の出版した一連の「クラヴィア練習曲集」の第4巻目にあたり、1741年に出版されました。 32小節のアリアが最初と最後にあり、その間に30の変奏がります。 つまり全体では32×32小節となります。 チャコーナの場合は8×32=256と、バッハの場合は4、または8の累乗数にこだわっているのは、前に書いた通りです。



3の倍数で・・・・

 それらの変奏のうち、第3、第6、第9など、3の倍数の変奏はカノンとなっており (以前そんな感じのギャグがあったような?)、 同度から2度、3度となり、最後は9度のカノンとなっています。

 その流れで行くと、第30変奏は10度のカノンになるはずですが、その第30変奏はカノンではなく、二つの違った歌を同時に歌う 「クオドリベット」 というものになっています。 この「クオドリベット」というのは、バッハ家で代々宴会などの際によく行ったものと言われています。



テーマはアンナ・マグダレーナの音楽帳にも載っている

 テーマとなったアリアは「アンナ・マグダレーナの音楽帳」にもマグダレーナの手によって記されていますが、ゴールドベル変奏曲が書かれる前なのか、その後に記されたのかはよくわからないそうです。

 つまり、バッハがマグダレーナのために書いた曲を基にゴルトベルク変奏曲を書いたのか、あるいはマグダレーナが自分で演奏するために、ゴルトベルク変奏曲のテーマを写し取ったのかは、はっきりしないようですが、どちらかと言えば後者の説の方が有力とされています。

 

伯爵の不眠症の為に書かれたと言われるが

 この曲に「ゴルトベルク変奏曲」という名が付いたのは、ある伯爵が不眠症に悩まされ、その伯爵のもとに仕えていたゴルトベルクという若い音楽家の為に書いた曲という逸話があるからですが、 ただこの話はあまり信憑性はないようです。 

 しかし、最初のアリアはたいへん美しく、気持が和む感じなので、気持ちよく寝付けそうな感じはします。 確かに、一般的な人が聴くと、特に刺激的な曲ではないので、寝付くにはちょうどよい曲かも知れませんが、 職業的な音楽家や、音楽に詳しい人が聴くと、逆に寝つくどころではないでしょう。 

 因みに、出版された譜面のどこにも、ゴルトベルク云々と言ったことは書かれてなく、出版譜の表紙には、 「クラヴィア練習曲集。 2段の手鍵盤のチェンバロのためのアリアと様々な変奏曲からなる。 音楽愛好家の心の慰めのために、ポーランド国王兼ザクセン選帝侯宮廷作曲家、楽長、ライプチヒ合唱音楽隊監督ヨハン。 セバスティアン・バッハ作曲。 ニュルンベルクのバルタザル・シュミットより刊行」  と書かれています。
 
 「ポランド国王兼・・・・・・」といった肩書は、どちらかと言えば名目的なもので、バッハの実際の仕事は「ライプチヒ・・・・」のほうです。 
 



チャコーナやパッサカリアの同一線上

 この曲は変奏曲といっても、古典派以降の変奏曲のように、各変奏が最初のアリアの旋律をもとにしているわけではなく、 基本的にはチャコーナやパッサカリアのように低音主題をもとに、その上に旋律を作曲する形になっています。 したがって、チャコーナやパッサカリアなどと同一線上にあるのは確かです。



一般の変奏曲とは別次元

 しかし、その低音主題をもとにしながら、さらにカノンにするなどと言うのはかなり高度な作曲技術が必要でしょう。 ヘンデルやヴァイスには申し訳ないが、この変奏曲は低音主題の上に装飾的なパッセージをのせた変奏曲とは全く別次元の変奏曲といえるでしょう。

 カノンといっても有名な 「パッフェルベルのカノン」 などとは比べ物にならないくらい複雑で、 低音部も単純に同じ和声を刻んでいる訳ではなく、文字通り一つの声部となっています。 2度とか、3度とか、音程関係の違ったカノンになっているだけでなく、上行と下行が逆になったものとかもあります(反行カノン)。



譜面通りに演奏すると1時間を軽く超える

 アリア、およびそれぞれの変奏は16小節ずつ前後半に分かれていて、それぞれ繰り返しがあります。 ということは32×32×2となり、計何小節になるのかな?  電卓がないと計算出来ませんが、どうやら ”2048小節” になるようです。 ということはチャコーナの8倍の長さがあると言うことになります。

 このとおりに演奏すると70~80分くらいかかりますが、最近でのCDでは収録時間的に問題ないので、このとおりリピートを付けて録音していることが多くなりました。 かつてのLP時代ではグールドやレオンハルトなどのように、リピートを省略して録音するのが普通でしたが、それでも35~40分くらいで、ちょうどLP1枚分の時間となります。   ・・・・・これで寝付けなかったら、不眠症も相当重症ですね。

 1950年代くらいまで、このような曲は本当ににごく一部の専門家しか聴いたり、演奏したりはしなかったのでしょうが、1950年代にカナダの奇才ピアニスト、グレン・グールドが録音して話題となり、以後一般の音楽愛好家にも聴かれるようになりました。

 最近ではテレビCMにも使われるくらい、バッハの鍵盤曲としては知られた、あるいは人気のある曲となりました。 そう言えばギター二重奏で演奏しているCDもありますね。 譜面も出ているようですが、私はまだ聴いていません。 興味のある方はぜひ買ってみて下さい。 



男は、やるときはやる?

 このように、バッハはあまり変奏曲は書かなかったが、書く時にはチャコーナやゴルトベルク変奏曲のような、もの凄い、とんでもない曲を書いたというわけです。 滅多に怒らない人が怒ると怖いとか、 いつも無口な人も、酒が入るとしゃべりが止まらなくなるとか、そういったことかな?   ちょっと違う?   まあ、男は ”やるときにはやる”  というやつでしょう。

 それにしても、なぜ、バッハは変奏曲をあまり書かなかったか?  そして、それを書いた時には質的、量的に他の作曲家の同種作品をはるかに凌駕するような作品書いたのか?  どうやらそれには、はっきりした理由があるようです。 決して偶然、たまたまではないでしょう。



バッハはチャコーナが嫌いだった?

 バッハの弟子のフォルケルによれば 「(変奏曲は)基本の和声が常に同じなので、バッハはそれ(変奏曲を作曲すること)をつまらない仕事だと思っていた」 のだそうです。 

 つまり低音主題を決めて、それに装飾的なパッセージをのせるなど、誰にでも出来ることで、そんなことは自分の仕事とは思っていなかったのでしょう。 自分の仕事は ”バッハしか出来ない曲” を作曲することと考えていたのかも知れません。 要するに、バッハはチャコーナや、パッサカリアなどの変奏曲を作曲するのが嫌いだった・・・・・




チャコーナ・モドキ

 下の譜面を見て下さい。 これは私が作った ”チャコーナ・モドキ” です (パッサカリア・モドキでもよかったのだが)。


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 もちろんどうしょうもない曲ですが、ちょっと聴いた感じではそれっぽく聴こえるでしょう?  どうです?   ・・・・・・・そう聴こえなくても、ここはウンと言ってほしいところ・・・・    えっ、なんか、どっかで聴いたことがありそう?    パクリじゃないかって?    まあ、まあ・・・・




フーガだと、モドキも難しい

 もちろんこれは極端な例ですが、和声進行や低音旋律を決め、その上にメロディをのせてゆくということは、作曲技法的には比較的簡単なのは間違いありません。 だからこういった音楽形式が出来たという面もあるでしょう。

  しかしこれがフーガとなると、そうはゆきません。 フーガなどいうのは”行き当たりばったり”で作曲出来るものではなく、相当な綿密な計算も要るでしょう。 やはり高度な作曲技術を身に付けた人のみが作曲できる形式といってよいでしょう。 冗談に ”フーガ・モドキ” を作ろうと思っても、そう簡単には出来ません。

 つまり同じバロック時代を代表する音楽形式といっても、フーガとチャコーナではまるで違うのです。 このあたりが、バッハには数えきれないくらいフーガがのこされているのに、チャコーナなどの変奏曲は数えるほどしかないことの最大の理由でしょう。




バッハのチャコーナは、なるべくしてこのようなチャコーナになった

 バッハは自分自身が作曲のプロ中のプロという自意識はあったでしょう。 プロが作曲するのは、何といっても、まずフーガで、 もし変奏曲を書くとすれば、それは、これまでの変奏曲の概念を超えたものでなければならなかった。 

 したがって、バッハの「チャコーナ」や、「パッサカリアとフーガ」、そして「ゴルトベルク変奏曲」が、このような形で今日に残されたのは、バッハ的な発想からすれば当然のこと言えるのかも知れません。 つまり、今回のテーマである、バッハのチャコーナは、”なるべくして” 私たちが知っている、あの 「チャコーナ」 になったのでしょう。

 

それが大きなヒント

 ”バッハは(あまり)変奏曲を書かなかった”  あるいは ”バッハはチャコーナが嫌いだった” という逆説的ことが、チャコーナを考える上で、大きなヒントとなるのかも知れません。
 

 

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