中村俊三 ブログ

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シューベルト:冬の旅

 昨日は朝から雪の降るとても寒い日、久々に「冬の旅」を聴いてみる気になりました。ゲルハーエル(バリトン)のCDを手に取りました。このCDは1年ほど前、往年の名盤と言われるハンス・ホッターとか、バリトン歌手としては第一人者である、ディートリッヒ・フィッシャー・ディスカウの「冬の旅」のCDを買うついでに買ったようなもので、とりあえず店にあったのと、廉価版でもあったので買いました。歌手の名前はその時あまりわかりませんでしたが、比較的若い年代の歌手としては評価は高いようです。


 買った時少しは聴いたのですが、あまりちゃんと聴いていなかったので、あらためてこのCDを聴いてみようと思いました。あらためて聴くと、なかなかよいCDだと思いました。ゲルハーエルの音質は明るく、透明感のある感じで、年齢的なものもあるのかも知れませんが、美しい声です。表現はどちらかと言えば控えめで、少し距離を置いた表現と言えるかも知れませんが、それがこの曲には合っているように思います。でも特に関心したのはピアノとのバランスの良さで、バランスを取っているというより、歌とピアノが一体となって一つの音楽を作っている感じです。おそらく歌手とピアニストが同じようなイメージをもって演奏しているのではないかと思います。 


 午前中に前半の数曲と後半の2曲ほどを聴きましたが、仕事が終わった後、というか、サッカーの日本代表の予選の初戦の勝利を見届けた後、もう一度聴きなおそうと思いました。どうせ聴くなら別なCDにしようと思い、前述のハンス・ホッターとフィッシャー・ディスカウのものをちょっとかけてみましたが、ホッター盤は高く評価する人もいる割には私にはあまり良さがわからず、ディスカウ盤は、シューベルトの音楽と言うよりは、ディスカウの音楽に聴こえてしまって、結局またゲルハーエルのCDを聴くことにしました。今度は1曲目から途中を飛ばさず24曲目まで通して聴きました。


 この「冬の旅」は前半の12曲と後半の12曲ではかなり内容が違うようです。前半は1曲目の「おやすみ」とか5曲目の「菩提樹」、6曲目の「雪解けの水流」など、まさにシューベルトらしい美しいメロディの曲が多く、確かにこの「冬の旅」は悲しい曲なのですが、一方ではその美しさに酔うことも出来ます。詩の内容も失恋の悲しさを歌っていて、「ぼくの熱い涙で雪と氷を溶かしつくそう、土の肌が見えるまで」(第4曲「氷結」)と、辛く、悲しいが、文字通り青年の熱い情熱も十分感じ取れます。また聴いている人の気持ちにも強く訴えかける音楽となっています。私も12曲目くらいでは、テレビを見て笑っている家内の隣で、CDプレーヤーのイヤホンを耳に差込ながら、だんだん目から涙が流れ出てきてしまいました、もちろん見られないようにしましたが。


 しかし後半の14曲目あたりからは一転して「歌わない」歌へと変わって行きます。歌もピアノの音も動きが少なくなり、前半ほどメロディとして印象に残る曲は少なくなってきます。詩の内容も、もはや「恋」も「愛」も、また「涙」も出てこなくなります。14曲「霜おく頭」では、頭に霜が乗って髪が白くなり、老人になれ、死に近づいたことを喜びます。また15曲「からす」では自分の屍をついばみに来ている、からすに、自分の最後までずっとついてきてほしいと願います。21曲「宿」では通りかかった墓が自分の宿だと言い、「空いている部屋なないか」とたずねます。ここに描かれている世界には日常的な喜怒哀楽とは違った感情が支配しているようです。自らの死だけが自らの救いということなのでしょうか。


 終曲「辻音楽士」は年老いたライヤー弾きの後を付いてゆく歌ですが、行く先も定まらず、ただ空中を浮遊するようなメロディ、体の中を冷たい風が吹き抜けるようなピアノの音。ゲルハーエルの歌もフーバーのピアノもほとんど抑揚らしい抑揚を付けづに、この無重力感を表現しています。これがシューベルト流の「悟り」の世界なのでしょうか。気が付くと曲はもう終わっていました、それにしても「冬の旅」を1曲目から24曲目まで続けて聴いたなんて何年ぶりでしょうか、ほとんど記憶がありません。シューベルト自身の「冬の旅」もこの曲を書いた次の年に終わることになります、シューベルトに「救い」は訪れたのでしょうか。

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