中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。



卑弥呼の都





唐突ですが

 唐突ですが、今現在私が一番気になっている女性といえば、邪馬台国の女王、卑弥呼。 統一国家としての我が国の初代の王であるかも知れない卑弥呼のことは、 魏志倭人伝には書かれているが、日本の歴史書とも言える日本書紀や古事記には全く書かれていません。 

 つまり日本の初代の王であったかも知れない卑弥呼は、日本国内では全く語り継がれてこなかったということになります。 記紀(古事記、日本書紀の略)で編纂されたのは8世紀初頭ですが、その基になる帝紀などが書かれるようになったのは6世紀頃と思われ、その時点ではすでに卑弥呼の時代の記憶は消え去ってしまったようです。




幻の邪馬台国は何処に? 沖縄、朝鮮半島、フィリピン説まで

  その女王卑弥呼が住んでいたとされる邪馬台国も、その所在が特定されず、九州か、近畿かと、議論されています。 その両者が古今の邪馬台国論争の有力な説ですが、その他でも、吉備地方(現岡山県付近)、出雲、近江、などの説もあり、さらには沖縄や朝鮮半島、フィリピンまであります。    ・・・・・・・そうなると、もう 「倭国の女王が住む国」 にはならなくなってしまうが。




方角が正しければ九州、 距離が正しければ奈良県

 そうした説が飛びかうのも、魏志倭人伝の地理的な説明に矛盾があるからです。 魏志倭人伝を素直に読むと、邪馬台国は九州のはるか南方の海上にあることになってしまうようです。

 多くの学者は倭人伝の距離、または方角に関する記述が不正確と考える訳ですが、距離がまっと近いと考えれば邪馬台国は九州の中に収まり、方角が間違っていると考えると、ちょうど奈良県あたりに落ち付きます。



最近では奈良県の纏向が有力候補

 そのように、これまで喧々諤々の議論が交わされていたわけですが、最近、奈良県の桜井市の纏向遺跡で、宮殿とも言える大型の建物群が発掘されました。 その建物群の年代は、まだ若干議論もあるようですが、だいたい3世紀頃とされ、卑弥呼の時代と一致することになります。

 そうしたことから、最近では近畿説が圧倒的に有力になりつつあるようです。 もちろんまだ九州説を唱える学者も少なくありませんが、そうした学者でも3世紀の大和地方に非常に強力な王権が誕生していたであろうということは否定してはいないようです。




bdf26ef21f18e51c46a25c7fab2cc513_20161015005051d4f.jpg
卑弥呼の都だったかもしれない纏向遺跡の想像復元図  三輪山から見た景観となっている




 九州説を唱える学者は魏志倭人伝や日本書紀、古事記などの文献が研究対象とする、つまり ”歴史学者” が多く、 また近畿説をとる学者は発掘など、物的証拠を根拠にする ”考古学者” が多いようです。




卑弥呼も見ていたかも知れない風景を見に

 そうしたわけで、今度その纏向遺跡をメインに、6~7世紀に日本の首都が置かれた飛鳥地方などに旅行しようと思っています。 しかし遺跡といっても、今現在は埋め戻されてあり、吉野ケ里のように建物などが復元されている訳ではありません。

 つまり行っても畑とか家など、どこにでもある普通の現在の風景となっているようです。 要するに ”何もない” ところかも知れません。 少なくとも観光スポットではないようです。

 当時のままと思われるのはその纏向の東にある三輪山でしょうか、この三輪山は昔から神山とされ、おそらくここに卑弥呼の宮殿が建てられたのも、この三輪山に関係があるものと思われます。

 また纏向遺跡のすぐ近くには”卑弥呼の墓”ともされる箸墓古墳があり、 さらに北東のほうには崇神天皇陵や景行天皇陵とされる古墳もあります。

 とりあえず、卑弥呼の宮殿があったとされる付近に立って、三輪山でも眺めてみようかと思います。 おそらく1800年前に卑弥呼が眺めたと思われる景色を。




卑弥呼ってどんな女性?

 それにしても卑弥呼ってどんな女性だったのでしょう。 たぶん若くして、おそらく10代で邪馬台国の女王となり、魏志倭人伝にもあるように高齢(おそらく50~70代)で亡くなったのでしょう。

 ネットで検索してみるといろいろな”卑弥呼”が出てきますね、 仏様のような卑弥呼から、いかにも神々しい姿、さらにはコミックの主人公のようなかわいい卑弥呼、中には若干肌の露出の多いセクシーな卑弥呼まで・・・・・・


01_thum.jpg



t02200361_0274045010616377483.jpg
3世紀頃の高貴な女性の服装らしい。 卑弥呼はこのようなものを着ていたのかな?  意外と豪華! 



生存中から卑弥呼を見た人は、ほとんどいなかった

 しかしどんなに考古学などの研究が進んだとしても、卑弥呼がどんな容姿で、どんな性格だったかなどということは、わかることはないでしょう。 第一、卑弥呼の生存中から卑弥呼は特定の人以外には合わなかったとされていますから、当時から卑弥呼の姿を見た人は非常に限られていたようです。



ギターには全然関係ないけど

 となれば、これはもう、想像力を働かせるしかないでしょう。 誰もわからない分だけ、誰でもが勝手に想像し、自分の”卑弥呼像”を持つことも出来る訳です。

 そこで、次回からは私が勝手に妄想する、私の ”ヒミコ・ストーリー” を書いてゆきたいと思います。    ・・・・・ギターに全く関係ないけど。
スポンサーサイト
コメント
コメントする
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する