中村俊三 ブログ

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クイーン・ヒミコ・ストーリー  ~なあんちゃって 2




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ヒミコという名は正しい名前ではない


 ヒミコという名は、もちろんこの王女の正しい名前ではない。 西暦239年に魏に使者を送った際、魏の役人に倭国の王について聞かれ、倭の使者が 「今の倭国の王はヒメコ(女子)でございます」 と答えたことにより、後世ではヒミコと呼ばれるようになった。

 したがって、当時、倭国ではこの女王のことを ”ヒミコ” と呼んでいたわけではない。 まして女王になる以前の、イト国の王女時代は全く別の名であったのは当然だが、、ここでは現在の呼び名に従い、「ヒミコ」 と記す。

 イト国では王女の中で最も優れたものを ”日の神の妻” とする習慣があった。 日の妻となった女性は一生涯独身を通し、結婚して子供はもうけることはない。 あくまで日の神の妻として一生を送り、日の神よりの神託を聴く。 そしてそれを王に伝え、国を神の導く方へといざなう。 ヒミコもそうした王族の女性の一人で、ゆくゆくはヒミコの叔母に引き続いて日の神の妻になる予定であった。




イト国

 イト国は現在の福岡県糸島半島にあった。 古来より朝鮮半島の貿易、特に鉄製品の流通で富を成し、九州の中でも、あるいは倭国の中でも最も富んだ国だった。 そしてその財力と物資の流通、そして大陸の情報、および知識において、九州、および本州の諸国をリードし、漢の都へ使者を送り、漢より倭王の称号を得ていた。

 しかし2世紀も後半に入るとキビ、イズモ、コシ、オウミなどの諸国が台頭し、イト国およびナ国など北九州の諸国の圧倒的優位には陰りが見え始めた。 かつては独占していた鉄製品の輸入においても、諸国が独自のルートを持つようにもなってきた。





キビの王

 それらの国の中で、最も力を付けてきたのはキビの王で、この ”倭国連合構想” もキビ王の主導で進められた。 当初はキビの王自身が倭国連合の王となることを前提として考えていたが、なかなか話はまとまらなかった。 キビ王といえども、自らが大倭国の王となるだけの力はなかったのである。

 キビ王は考えた。 今現在、この倭国で最も力のあるのは、このキビ国、その王である自分こそが大倭国の王に最もふさわしい。 それは間違いないことだが、それをすべての倭国の王に納得させるには現状では難しい。 特にライバル関係にあるイズモの王が絶対に首を縦に振らない。  ・・・・・まあ、戦でも仕掛けて力ずくと言う手もある、今、戦で我がキビ国に勝てる国はない!



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 確かにイズモだけだったら何の問題もないが、しかしオウミやコシ、それにサヌキやスオウなどまで敵に回したら勝ち目はない。  それに、いまは戦などやっている場合ではない。 せっかくあの ”暗闇の時代” から抜け出したところなのに、ここでまた戦など始めたら、今度こそ本当に倭国は滅びる!

 やはり大倭国の王には、かつて漢から倭王の称号を得ていたイト国の王を立てるしかないのかも知れない。 イト王であれば、これまでの伝統から、諸王もある程度納得するだろう。

 しかしそのイト国に都を置くことは出来ない。 今の倭国とは東のケヌ国あたりまで広がっていて、その中心となれば、やはり畿内のどこかだ。 交通の便などを考えるとオウミあたりが最も良いかもしれないが、オウミにはオウミの王がいる、出来れば強い王がいないところがよい。 そう考えると都はヤマト以外にはないだろう。 ヤマトは水の便もよいし、また平地も広がっている。

 都はヤマトで決まりとして、では王はイト王でよいのかということになる。 イト王を王に据えたのでは、かつてのイト国連合の継続、あるいは復活ということで、元も子もない。  

 私以外のものが王になるとすれば、出来るだけ力のないものがよい、イト王では危険だ、いずれ強い権力を持つようになってしまうかもしれない。 それならイト王ではなく、イト国の王族の誰かを王すればよい、それには男子ではなく、女子がよいだろう、しかも出来るだけ若く、力などを持ち得ようがない女子、形だけの王になってくれる女子が。 

 確か、イト国の王女の中に、霊力に優れ、賢く字も読めるという噂の王女がいたと思う、 その子がようだろう。 その王女の霊力を強くアピールすれば諸王たちも納得するだろう。  我ながら良い考えだ!  霊力だの、美貌だの、才などというのは、実のところたいして意味はないが、諸王を納得させるは重要だ。

 そんなことよりも、イト国の王女を倭国の女王にすることによって、当然イト国も大倭国に引き入れることが出来、朝鮮半島や中国とのコネクションをそのまま大倭国に引き継ぐことが出来る。 これが最も大きい!

 さらに、北九州で最も影響力の大きいイト国が、我が大倭国になびけば、他の北九州諸国も当然それに従うだろう。 近畿以東の諸国も都をヤマトに置くということになれば離反は少ない。 これで本当に大倭国が完成だ!  しかもその実権は、わがキビ国が握れる!   まさに ”名を捨て、実を取る” とはこのことではないか・・・・・・・





キビ王とイト王

 キビの王を ”腹黒い” などと言ってはいけない。 キビ王は現実主義者で、立派な ”政治家” だ。 ちゃんと結果を出し、ともかく大倭国連合は船出した。 キビ王の鋭い状況判断力がなければ、倭国がまとまるには、さらに100年以上費やしたであろう。

 イト王は情深い性格で、理想主義者だった。 代々のイト王に比べ、自らの力のなさを嘆いていた。 でも今現在でも倭国の盟主であることの自負は捨てきれず、キビ王から 「大倭国の為に」 と言われると、自らのもっとも大切なものでも手放さざるを得なかった。 さらに文字通り目に入れても痛くない愛娘を誉めちぎられては、もう相手の言うなりになるしかない!

 さらに大倭国の為にということで、これまで築いた大陸とのコネクション、あるいは最新の情報、さらには各分野の専門家たる、多くの渡来人たちも供出せざるをえなかった。 イト国には大倭国の出先機関が置かれ、半島や大陸との窓口機関となり、その長にはイト王がなった。

 イト王としては、これまでの持っていた朝鮮半島や大陸との交渉権を維持した形にはなったが、倭国の一地方の出先機関の長ということで、倭王である娘のヒミコの部下になった形にもなる。 ヒミコをとおしてキビ王の支配下に置かれたと言ってもよいかも知れない。 イト王は、その性格のよさから、現実主義者のキビ王の手玉にとられた形になった。




<参考> 暗黒時代

  キビ王のいう ”暗黒時代” とは2世紀前半のことで、この時期、日本列島は極端な異常気象に襲われた。 特に西暦127年は未曽有の大水害の年で、その年間降水量は1000年、あるいは2000年に一度という凄まじいものだった。 日本列島各地で多くの住居や田畑が流され、村ごと消滅してしまったところも少なくない。

 さらにそれに続く干ばつなどで大飢饉がおこり、多くの命が奪われた。 また、少ない食糧を巡って醜い争いも絶えなかった。 人々がようやくそうした状況から脱し始めた時、これまでのように小さな国々に分かれていたのでは暮らしてゆけない。 災害や、また争いを避けるためにも、列島全体を包括するような国が必要だと思い始めた。 そんな時代の話である。



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 あのう・・・・・    わかっているとは思いますが、この記事は ”なあんちゃって ヒミコ・ストーリー” ですよ、 ”なあんちゃって”。    ・・・・・・・・こんなこと歴史の本に書いていない?     当然ですよ ”なあんちゃって” ですから、 誤解のないように。       ・・・・・・・・・ ん?  わかってる?   ならいいけど。 



  
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