中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

偽作って、違法じゃないの?



”偽” が付く言葉はたいてい違法行為だが

 メキシコの著名な作曲家、マヌエル・ポンセはアンドレス・セゴヴィアと共謀(?)して、二つの組曲(イ短調、ニ長調)の他、「バレー嬰ハ短調」、「前奏曲ホ長調」 を発表しました。 これってどうなんでしょうか? 違法行為にはあたらないのでしょうか。

 食品の産地偽装、 偽造パスポート、 私文書偽造、 偽札と、だいたい「偽」 の文字が付く事柄はたいてい違法行為となっています。 また美術品などでは”贋作”という言葉もありますが、これは間違いなく犯罪ですね。




例のゴースト・ライター事件では

 記憶に新しいところでは 例のゴースト・ライター事件などありましたね、そのゴースト・ライター(本当の作曲家)は、最近テレビでよく見かけるのですが、”作曲家” を名乗った人のほうは、その後はどうなったのでしょうか。 刑事事件とまではならなかったようですが、ただ世間からは作曲家としては認められず、いわゆる社会的制裁を受けた形になたようですね。




発覚以前に高く評価した人は

 またその作品も、一時期は非常に高く評価されましたが、その後はほとんど演奏されなくなりましたね。 しかし、作曲者が違っtとしても、その作品には変わりないはずですから、事件発覚前に、その作品を高く評価した人や、いい曲だと思った人は、その後もその作品を聴いたり、評価すべきではないかとも思います。




価値判断の難しさ、あるいはいい加減さを考えさせられた事件


 ともかく、音楽の価値判断などというものはかなりいい加減なものですね。 「バッハの作品は、本当に素晴らしい」 などと言ったり、思ったりしている人も、本当に自分で感じている訳ではなく、知らず知らずのうちに世間の評価や、他人の評価を受け入れてしまっているのでしょう。 ・・・・自分の力で価値判断するのは決して簡単なことではない・・・・・・そんなことを考えさせられる事件でしたね。




違法性があるのでは? などと考えたのは私くらい?

 ちょっと話がそれたので、話をポンセの作品の方に戻します。 ヴァイスなどのバロック時代の作品として自らの作品を発表したマヌエル・ポンセは、この件で、どこかの国の法律に抵触し、問題になったというこは全くなかったようです。 というより、法律上問題になると考えた人も、いなかったのではないかと思います(そんなバカなこと考えたのは私くらい?)。




でも主犯はセゴヴィアのほう

 もっとも、問題になったとしても、ポンセの方は、ただバロック風の作品を書いただけで、ヴァイスなどの名で発表したのはアンドレス・セゴヴィアの考えのようです。 つまり”主犯” はあくまでセゴヴィアのようです。 おそらくポンセがバロック風の作品を書いたのも、セゴヴィアの要望によるものでしょう。




恩恵を受けたのは私たちギター愛好家

 自分の作品を他人の名前で発表するということは、著作権などの利益を一切放棄することになり、そのことで少なくともポンセが利益を受けることは全くなく、したがって、このケースではどの国においても違法とはならないのでしょう。

 ポンセが、これらの作品を自らのものとしなかったことにより、わたしたちギター関係者は、誰もがこれらの曲を著作料を払うことなく演奏したり、出版したり、CDを発売したり出来ることになり、大変な恩恵を受けることになります。

 つまりこれらの作品は、ポンセとセゴヴィアからギター愛好者へのたいへん素晴らしい贈り物ともいえるでしょう (もっとも今現在はポンセの死後50年以上経つので、ポンセの他の作品も著作権料はフリーとなっています)。

  


セゴヴィアの「ジーグ」

 ところで、セゴヴィアはポンセの作品だけでなく、自らの作品もバロック時代の作品として発表していたようです。 セゴヴィアは1939年に ”フロ-ベルガー作曲「ジーグ」” 1949年に ”ロベルト・ド・ヴィゼー作曲「ジーグ」” 1961年には作曲者不明の 「ジーガ・メランコリア」 という曲を録音していますが、これらはすべて同じ曲です(さらに他にも録音があったような)。



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セゴヴィア作曲と思われるジーグ(セゴヴィアの名は私が入れた)。 セゴヴィアの愛奏曲中の愛奏曲で、何度も録音し、リサイタルでも弾いていた。 セゴヴィアは認知しなかった子のほうが可愛かったのか?





自供はしていなが

 おそらくリサイタルでもこの曲を頻繁に取り上げていると思いますので、セゴヴィアの愛奏曲中の愛奏曲と言えます。 ポンセの曲同様、セゴヴィアは生涯この曲を自らの作品とはしてきませんでしたが(つまり自供はしていないが)、現在では状況証拠的に間違いなくセゴヴィアの作品とされています。




認知出来なかった子のほうが可愛い?

 セゴヴィアは 「光のない練習曲」 他、いくつかの作品を自らの作品として出版したり演奏したりしていますが、この「ジーグ」については最後まで自らの作品とはしませんでした(つまり認知していない?)。 しかし自らの名で発表した曲より、そう認めなかったジーグのほうが圧倒的に演奏の頻度が多く、たいへん気に入っていた曲に違いありません。  

  ・・・・・・・正式な自分の息子より、いろいろ訳あって自分の子とは出来なかった子のほうがずっと愛着があり、可愛がったということかな?  ・・・・ちょっとヤバイ例え?

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