中村俊三 ブログ

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バッハ:平均律クラヴィア曲集 2 



曲の概要



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対象楽器としては鍵盤楽器全体だが、主にはチェンバロか

 バッハの「平均律クラヴィア曲集」という作品がどういうものかは、Wikipediaで検索していただければ済む話ですが、そう言ってしまっても何なんで、一応おさらいしておきましょう。 

 この曲集のタイトルを、ややていねいな表現にすると、「平均律で調律された鍵盤楽器のための曲集」ということになるでしょか。 鍵盤楽器とはピアノ、チェンバロ、オルガン、クラヴィコードなどの総称ですが、バッハの時代にはピアノはまだ生まれたばかりでほとんど普及していませんでしたので、実質的な対象としては、チェンバロ、クラヴィコード、オルガンの3つと考えられます。

 クラヴィコードはピアノと同じく弦を叩いて音を出す鍵盤楽器ですが、音量は小さく、あくまでプライヴェートに楽しむ楽器だったようです。 オルガンで演奏しても全く問題ありませんが、この譜面には足鍵盤譜がなく、特にオルガンに特化した譜面ではありません。 

 また、オルガンは基本的に協会に一つしかなく、日常的に演奏出来る人は限られます(教会専属のオルガニストなど)。 そう考えると、結局、第1義的な対象としてはチェンバロということになるのでしょう。おそらくバッハとしても、この曲集は、まずはチェンバロで演奏されることを念頭に置いたと思われます。




平均律とは

 平均律というのは1オクターブ内の12の半音を、等比数列的に音程を定めたもので、今現在の楽器はすべてこの方式で調律されます(もちろんギターも)。 しかしバロック時代くらいまでは、この方式ではなく、ミーン・トーンなどと呼ばれ、平均律とはちょっと違った方法で調律されていました。
   


ミーン・トーンは長3度を正しく5倍音とする調律法

 この調律法の違いについて書くとたいへん長くなるので(そもそもよく知らない!)、詳しいことは省略しますが、この方法は長3度を正確な5倍音にするのが特徴で、このようにすることで、とても澄んだ響きの長3和音(ドミソなどの)が得られます。

一方、平均律だとこの長3度を5倍音よりもやや高めに設定することになり、長3和音はやや濁った感じになります。この違いについては、ギターの⑥弦の開放弦と③弦の1フレットのソ#で確かめることが出来ます。



違いをギターで確かめることが出来る

 チューナーで正しく調律したギターの⑥弦の開放と、③の1フレットのソ#を同時に弾いた場合、よく聴くと少し濁って聴こえます(ギターを長年やっている人なら、そう感じてほしい)。 ③弦を少しずつ下げてゆくと、澄んだ響きになると思います。それが5倍音というもので、純正律的な長3度ということになり、かつてはこのように長3度の音程を決めていました。



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通常にチューナーで合わせた状態で⑥弦の開放の「ミ」と、③弦の1フレットの「ソ#」を同時に弾いてみる。 よく聴くと少し濁っている。



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次に、③弦を少し下げる。




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適度に③弦を下げてもう一度⑥弦の「ミ」と③弦の「ソ#」を弾くと、きれいに響く。 そのきれいに響いたところが5倍音というもので、ミーン・トーンの場合は、③弦をこのように取るらしい。




このソ#が常に第3音であればいいのだが

 しかし、この長3度、つまりソ#がいつも和音の中の第3音であれば、いいのですが、別の和音に用いられて、根音とか第5音とかになった時には、いろいろと問題になります。

 特に転調には弱く、転調した場合には主和音そのものがかなり濁ってしまうことになり、したがって簡単には転調は出来ないと言うことになります。 つまりミーン・トーンで転調する場合は、かなり限られた調にしか転調出来ぜ、ある程度遠い調に転調する場合は不協和度が強くなることを覚悟しなければなりません。




16~17世紀のチェンバロ、及びバージナルのコンサートで

 10年くらい前、友人の娘さんのチェンバロ、およびバージナルのコンサートが、私の母校の県立栃木高校でありました。 もともとその友人も、娘さんも東京出身で、栃木高校とは特に関係ないのですが、たまたま栃木市主催のイヴェントに呼ばれたということのようです。



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友人のチェンバロなどのコンサートが行なわれた県立栃木高校の講堂。 栃木市は江戸時代には水運で栄え、現在も 「蔵の街」 として知られている。 私の母校の栃木高校にはこのような明治時代からの建物がいくつか残っている。




 奇遇と言えば奇遇です。 おかげで、私も何十年かぶりに母校に行く機会を得ました。 意外と変わってなく、かつての教室やら、よく転んでひざを擦りむいたサッカー・グランドもそのままでした。



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バージナル  16~17世紀頃の鍵盤楽器  バッハの時代には、すでに使われなくなっていた



途中で調律が狂ってしまったのかな? と思ったら

 当時からあった、というより、明治時代からある木造の講堂でコンサートが行われ、演奏されたのは、ルネサンス末期からバロック時代初期のウィリアム・バードなどの鍵盤音楽でした。 その演奏で、ある曲の途中、チューニングが狂ったように聴こえ、「あれ? どうしたのかな?」 と思ったら、曲の冒頭に戻った時、全くおかしくなく、きれいな響きに戻りました。 

 そこで、バロック以前は今とは違った調律法を用いていたことを思いだし、なるほど、これがこの時代(16~17世紀頃)の調律法なのかと納得しました。 この調律法は主調で演奏している時はよいが、短調などに転調した時には、私たちの感覚では調律が狂っているように聴こえるようです。




これをギターで実感するには

 これをギターで実感するには、先ほど③弦を少し下げて⑥弦のミとソ#がきれいに響くようになったものを、③弦を開放弦にして⑥弦のミと③弦のソ(ナチュラル)を同時に弾いてみるとわかります。 先ほどの長3度はきれいに響いたと思いますが、ソ(ナチュラル)の短3度の方はかなり濁って聴こえると思います。



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先ほど③弦を下げて⑥弦の「ミ」と、③弦の「ソ#」がきれいに響くようにした状態で、今度は押さえている指を離し、「ミ」と「ソーナチュラル」で弾いてみると、いつもの響きよりもかなり濁って聴こえる。 つまり長3度を正しく5倍音にしてしまうと、短3度はかなり濁ってしまう。




 実際のミーン・トーンはかなり複雑で、時代や、地域、音楽家、楽器製作者などによりかなり異なるようで、このような単純なことで説明はできませんが、だいたいで違いを感じていただければと思います。




バロック時代半ば頃までは、短3和音では曲が終われなかった

 そう言えば、バロック時代の半ば頃までは、例え短調の曲でも、最後は長調の和音にして終わる習慣がありました。つまり短調の和音で終わってはいけないということですね。 どうしても長調の和音で終わりたくない場合は第3音を省き、長3和音か、短3和音かわからない形にしていました (ホ短調の曲ならミ―シ、 またはミ―ミ)。

 つまり、ミーン・トーンにおいては、短3和音はかなり不協和音となるので、この和音では曲を閉じることができなかったわけです。
バロック時代の後半、つまりバッハの時代になると、次第に短3和音で終わる形も出てくるわけですが、それとミーン・トーンの欠点を修正し、平均律的な調律法に近づく時期と、ほぼ一致しています。




現在では長3和音は明るく、短3和音は暗いとなっているが

 今現在、つまり平均律において、長3和音と短3和音の違いは、どちらが美しいかではなく、明るいか、暗いかの違いとなるでしょう。 もっとも、現在の長3度は本来濁って聴こえるのですが、私たちはいつもこの”ちょっと濁った” 長3度を聴いているので、慣れてしまって濁った感じには聴こえないのでしょう。 昔の音楽家が聴いたら、即座に 「音程が狂っている」 とクレームをつけるでしょう。

 また、このちょっと、本来の5倍音より高めの音程が、むしろ響きの明るさを増長させているのでしょう。 先ほど聴いてもらった(たぶん)純正な長3度、つまり5倍音によるものは、澄んだ響きではあるが、あまり明るいとは感じないのではと思います。



ミーン・トーンでは美しいか、美しくないかだった

 逆にミーン・トーンの場合は長和音は絶対的に美しく響き、短和音は濁った響きになります。 つまりミーン・トーンでは長3度を用いた和音、長3和音は、絶対的に美しく響く、”正統的な” 和音だが、短3和音は美しく響く和音ではなく、いわば ”異端的” な扱いをされると言うjことになります。



平均律は24の調を対等にすると同時に、長調、短調の関係も対等にした

 私たちは、ドから始まる音階も、ド#から始まる音階も、どの音から始まる音階も (すべて長音階であれば)、 全体の高さが違うだけで、全く同じように聴こえると思っています。 それは当然のことと思い、普段そんなことを考えることもないでしょう。 しかしそれはあくまでも平均律で調律されているからで、ミーン・トーンであれば、調ごとに違ったものに聴こえることになります。

 そのように、平均律では、24の調がすべて同じように聴こえることを目指したものなのですが、同時に長調と短調、長3和音と短3和音の関係も対等にし、またそれぞれの特徴を際立たせることになったわけです。 現在、私たちがもつ音楽へのイメージも平均律というフィールドがあってこそなのでしょう。
 


単純に 「平均律」 とは直訳出来ないらしいが

 バッハが曲集のタイトルに書いた Wohltemperierte という言葉は、「平均律」 と訳されますが、厳密には 「よく調律された」 と言ったような意味にとるのが正しいとされ、現在用いている平均律に直結するものではないとされています。 バッハが用いていたのは現在の平均律そのものではなく、ミーン・トーンの問題点をバッハなりに改善したものだそうです。 

 


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