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中村俊三 ブログ

中村ギター教室内のレッスン内容や、イベント、また、音楽の雑学などを書いていきます。

バッハ:平均律クラヴィア曲集 27



主には、弟子たちの教育のために用いられた

 平均律曲集は、インヴェンションなどとともに、主に弟子たちの教育にために用いられていたようです。 弟子のひとりのゲルバーには、3度にわたって平均律曲集第1巻を全曲連続演奏して聴かせたことが伝えられています。 バッハは多忙な仕事にもかかわらず、家族や弟子たちの指導を、こと細やかに行ったことが伝えられています。




時代は移り変わっていった

 バッハは生前より偉大な音楽家として尊敬されていましたが、それはバッハにゆかりのある音楽家や、また中部ドイツ地方といった限定された範囲内においてだったと思われます。

  バッハは1750年に亡くなっていますが、時代はすでに重厚なバロック時代から、もっと耳ざわりのよいロココ風の音楽がもてはやされる、前期古典派時代となってゆきます。




それでも一部の音楽家たちによって伝えられ、ベートーヴェンやモーツァルトも影響を受けた

 18世紀後半のヨーロッパでは、バッハのような厳格な対位法的な音楽はほとんど愛好されなくなりましたが、それでもバッハの音楽は、山脈から下る伏水流のように、一部の音楽家たちによって伝えられてゆき、やがてはモーツァルトやベートーヴェンの耳にも届くようになります。

 ベートーヴェンは若い頃この平均律曲集を学び、モーツァルトもウィーン時代(1780年代)にバッハの音楽を知るようになってから、その音楽にいっそう深みが、増してゆきます。 バッハの音楽なしには、モーツァルトの最後の3つの交響曲(第39番、40番、41番)や、レクイエムといった傑作は生まれなかったでしょう。




モーツァルトは幼少時に、末っ子のクリスティアン・バッハから手ほどきを受けた

 モーツァルトについて言えば、その幼少時にはイギリスに渡り、セバスティアン・バッハの末っ子のクリスティアン・バッハに音楽の手ほどきを受けました。 クリスティアン・バッハのCDなどを聴くと、モーツァルトの初期の曲にたいへんよく似ています。

 もちろん本当はクリスティアン・バッハの曲がモーツァルトに似ているのではなく、初期のモーツァルトがクリスティアン・バッハの音楽の影響を強く受けたということです。

 クリスティアン・バッハの音楽からスタートしたモーツァルトですが、最後は父親のセバスティアン・バッハによって完成されたともいえるかも知れません。 




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「ロンドンのバッハ」と呼ばれた、J.S.バッハ(大バッハ)の末っ子のヨハン・クリスティアン・バッハ。 18世紀後半では父のセバスティアンよりも有名だったようだ。 クリスティアンの作品はモーツァルトの初期の作品によく似ていて、父親の音楽とは全く印象が違う。




19世紀に入ると平均律曲集などのバッハの鍵盤音楽の出版が行われるようになる

 さて、18世紀中はごく一部の先見的な音楽家を除いてあまり関心を持たれなかったヨハン・セバスティアン・バッハの音楽ですが、19世紀に入ると、特にその鍵盤音楽が注目されるようになりました。 バッハ生存中、および18世紀中においては、バッハの作品はごくわずかしか出版されませんでしたが、1800年前後には平均律曲集を含む鍵盤作品が出版されるようになりました。




バッハの音楽の普及と同時に、混乱をもたらしたツェルニー版

 出版されたと言っても、今日のように大系的に整理されて出版されたわけではなく、出版者によって改訂された形で出版されたようです。 これらの中にはツェルニー編も含まれ、その後多くの音楽家たちがこのツェルニー編でバッハを学び、演奏することになります。



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ピアノの練習曲で知られているカール・ツェルニー。 1830年代に平均律曲集を改訂出版した。 このツェルニー版を入手しようと思ったが、簡単には出来ないようだ。 以前国内で出版されていた楽譜に付いている強弱記号や、メトローム記号は、このツェルニー版の影響を受けているのではと思われる。





 バッハの音楽の普及にツェルニーの果たした役割は大きいのでしょうが、同時にその恣意的とも言える改編によって、混乱を来したのも事実と言えます。 その影響はごく最近にまで及んでおり、以前紹介した全音版(メトロノーム記号などが付いいているもの)もチェルニー編の影響が考えられます。




1850年に旧バッハ協会設立

 1829年のメンデルゾーンによるマタイ受難曲復活により、バッハの愛好熱はいっそう高まることになり、1850年にはバッハ協会(旧バッハ協会)が設立され、旧バッハ全集が50年の歳月をかけ、1899年に完成されます。 これは、その時代を考えれば画期的なことと言え、極めて熱心な楽譜収集家や研究者たちの血と汗の結晶とも言えるでしょう。 




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旧バッハ全集の平均律曲集第1巻、第1番のプレリュード。 旧バッハ全集には多くの偽作が含まれていたりなど、あまり整理されていない。 特にその時点ではリュートのための作品は全く認知されておらず、そのほとんどは楽器不明の作品とされている。 しかしこの平均律曲集に関しては、現在原典版として出版されているものと、それほど大きくは違わないようだ。




新バッハ全集は10年前に完成したばかり

 しかしこの旧バッハ全集も完全なものとは言えず、1900年には新バッハ協会が設立され、1950年代から新バッハ全集の編纂が行われます。 この新バッハ全集が完成されるのは2007年ということで、これも50年を超える大事業となりました。 なお、私たちがよく目にするBWV番号は、この新バッハ協会によるもので、旧バッハ全集には作品番号的なものはありません。





初の全曲録音はエドウィン・フィッシャーのSP盤

 平均律曲集は1933~1936年に、エドウィン・フィッシャーによって初めて全曲録音されます。 私の知る限りでは、戦前の全曲録音としては唯一のものと思われます。 1950年代から現在まではチェンバロ、およびピアノ、さらにはオルガン、ラウテンヴェルクなど、様々な全曲録音が市場に出されますが、それらの中で私が聴いたものについて、次回より一つ一つ紹介してゆきましょう。

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